2011年3月11日午後2時46分。マグニチュード9.0という国内観測史上最大の地震が大沼さんの住む町を襲った。震度6強を記録した双葉町では地震や津波で建物103棟が全壊。14棟が半壊、津波によって21人が命を落とした。その後亡くなった「震災関連死」は160人(25年3月5日現在)。

 当時1Fから4キロほどの場所に家があった大沼さんは相馬市の不動産会社で勤務中だった。大熊町で働いていた妊娠7カ月の妻・せりなさん(49)にすぐに電話し、こう伝えた。

「早く逃げろ!」

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標語が飾られていた近くで家族写真を撮影したことも(2020年9月19日)

「東電関係者が原発周辺から逃げている」と情報が錯綜

 何とかせりなさんと合流して避難しようとしたが、すでに道路は大渋滞。双葉町から隣の大熊町まで2時間もかかった。

「震災当日、私は勤務先の相馬市の不動産会社にいて、妻は大熊町の自動車販売店の受付で働いていました。地震後に双葉町の家に向かうと、自宅に着いたのは妻より先でした。妻が働いていた大熊町は大渋滞で車が進まなかったようで、携帯も混乱して繋がらない。仕方なく自宅で待っていたのですが帰りが遅く、いてもたってもいられず家を出たらちょうど妻を見つけました。家が倒壊して道路が片側車線になり、余計進まなかったようです」

2011年8月3日に、2度目の一時帰宅した際に母親が撮影した大沼さん

 その後、大沼さん夫妻は相馬市の「道の駅」に避難したが、地震やその後の避難に関して、いろんな情報が入ってきた。「東電関係者が原発周辺から逃げている」というものもあった。

 19時03分に菅直人総理(当時)が、原子力緊急事態宣言を発令し、ついで福島県が1Fから半径2キロ以内の避難を発令。その後も避難エリアは拡大し、翌朝には半径10キロ圏内の住民に避難指示が出た。この時点で大沼さん宅も避難エリアに含まれ、道の駅で一夜を明かした夫婦はせりなさんの実家がある会津地方に避難した。

「会津は原発から離れている。(原発と会津の間には)磐梯山もあるため、放射能をさえぎるのではないか。これ以上、何かあったとしても、新潟に行けばいいと思っていた」

 会津で2週間ほど過ごしたが、出産が近かったこともあり3月末に親戚がいる愛知県安城市に避難し、行政が用意した民間の借り上げ住宅に移り住むことになった。