大沼さんの標語が書かれた看板は、2015年の3月に町が撤去の方針を決定した。

 大沼さんは看板保存の要望を提出し、その年の6月には署名も提出したが12月には看板が撤去され、町役場の近くに保存されることになった。現在は文字パネルの部分だけが「東日本大震災・原子力災害伝承館」(設置者は福島県)に保存されている。

「15年の頃は双葉町は猪やたぬきがうろうろしている状態でした。しかし東京オリンピックで双葉駅付近を聖火ランナーが走ることになって整備が早まり、看板が撤去されることになったんです」

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2015年の12月には、看板フレーム部分の撤去作業が行われていた

 2025年3月6日、大沼さんは双葉町を訪れ、文字パネルが外され、撤去を目前に控えるフレーム部分を目にした。町はフレームと橋脚部分を今月中に処分する予定だという。

「最後に見たかったんです。役場に電話で確認したところ、(フレーム部分の撤去は)1月中にと書いてありました。看板以外の周辺の廃棄物はすでに撤去されていて、看板はクレーン車による工事中。最後にお別れをできました」

「不都合なものほど展示してほしい気持ちはあります」

「原子力 明るい未来の エネルギー」の文字板が保存された「伝承館」は、20年9月に開館した。双葉町は大沼さんの標語が書かれた看板そのものの展示を望んだが、大きさを理由に実際に展示されているのは写真のみ。後にテラスに看板の実物が設置されたが、腐食を理由に看板のフレーム部分を新調し、現在はレプリカに変更されている。

双葉町に伝承館がオープンした初日に一家で訪れた大沼さん。本物の看板ではなく、大型写真のみの展示だった

「看板の近くにあった『双葉だるま』は伝承館で保存されていて、津波にのまれた消防車両も展示されています。一方、標語の看板はいつの間にかレプリカにすり替わっていたんです。でもやっぱり、不都合なものほど展示してほしい気持ちはあります」

次の記事に続く 「最近は双葉町のことを考えない日も増えてきた」原発PR標語を作った男性が故郷・双葉町には戻らないと決めた“素朴な理由”

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