選挙は「お祭り」だった

 代議士秘書時代にお手伝いした選挙は、私の“選挙戦歴”に入れていませんが、田中派は選挙に強いということで、いろんな選挙を手伝わされました。そこで都市と地方で選挙が全く異なることも学びました。

 当時の選挙費用は今の10倍ぐらいあって、衆議院選挙では「5当4落」と囁かれていました。4億なら落ちるが5億なら通る、という時代だったんです(笑)。今では選挙違反になりますが、「炊き出し」もありました。婦人部のおばさんたちが集まって、トンカツやカツ丼をつくって、「カツで選挙に勝つ!」と縁起を担ぐ。一番多い時は1日で1500人分提供しました。当然、お金はかかりますが、和気藹々と大勢で一緒に食べる。そうやって皆で選挙をお祭りのように楽しんでいたんです。

2024年の都知事選で石丸伸二氏の街頭演説に群がる人々。石丸陣営の選対事務局長を藤川氏が務めた ©時事通信社

 それが小選挙区制になると、選挙にかける費用も10分の1ぐらいになってしまい、「炊き出し」も公職選挙法で禁じられました。しかし「あれやっちゃダメ、これやっちゃダメ」では、選挙はつまらないものになる。

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 秘書として政策も勉強しましたが、選挙で鍛えられたことが、私には何よりも大きな糧となりました。

 とにかく田中派の基本は「地上戦」。いまは「空中戦」と「ネット戦」が主流ですが、当時は、歩いて歩いて握手した分しか票は入らない。田中角栄先生自身がそう繰り返していて、「5万件の戸別訪問と3万件の辻説法」が基本でした。今そんなことをやれる議員はいないでしょう。

 やっぱりあの情熱はすごかった。日本人全体が元気だった時代のこととも言えますが、こんな経緯で選挙に深く関わることになり、気づいてみたら、意図せず“選挙一筋の人生”となっていました(笑)。

※本記事の全文(約7500文字)は「文藝春秋PLUS」に掲載されています(藤川晋之助「都知事選165万票 選挙参謀も驚いた石丸ミラクル」)。全文では下記の内容をお読みいただけます。
・選挙参謀をなぜ引き受けたか
・ボランティアに支えられた
・選挙は“構図”で決まる
・「公約選挙」が政治不信を招いた
・「石丸氏の今後」へのアドバイス
 ・公職選挙法が民主主義を阻害

(本稿は「文藝春秋 電子版」で配信されたオンライン番組をもとに記事化したものです)