「兄貴も含めて周りに心配をかけてきた」

 最後に逮捕されてから9年が経つ。

「建設の仕事、炊き出し、ユーチューブ配信と忙しくしていたし、兄貴も含めて周りに心配をかけてきたから。善人になったとは言わんけど、昔の自分なら炊き出しとか考えなかった」

 炊き出しは、賛同する個人や企業に食材を寄付してもらい、調理や配布、片付けまですべてボランティアで担う。

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 料理を配っている間に手の空いたスタッフが公園のごみを拾う。

 初回の21年7月29日はニンニク入りカレーライス。その後は、麻婆豆腐丼、豚ショウガ焼き、鶏キムチ丼、カボチャシチュー、白みそ雑煮……。

 飽きられないよう、変化をつけている。雨の日でも50人ほどが行列をつくる。

「同じ曜日、同じ時間にやるのが大事。『次の木曜までまた頑張るか』って気になってくれたらうれしいからね」

三角公園で炊き出しを続けるダルビッシュ翔さん(画像の一部を加工しています)

「良い意味でドライな空気感」

 もともと釜ケ崎にはなじみがなかった。生活に困った人たちのために続けられてきた炊き出しが、コロナ禍でやりづらくなったと聞き、「それなら小回りがきく自分たちがやろう」と思い立った。

 失敗して周りの信頼を失い、社会からはじかれた経験のある自分たち。そんな経験をしている分、しんどい思いをしている人に手を差し伸べることができるのではないか。そんな思いもあったという。

 実際に釜ケ崎に通うようになり、「様々な人たちがいて人なつっこい人もいるけど、良い意味でドライな空気感もあるな」と感じた。

 お互いに顔はわかるが、どこで何をしているかまではあまり踏み込まないからだ。

「おっちゃん久しぶりやな。元気なんか」「元気やで」

 名前は知らない常連たちと、炊き出し中に言葉を交わす。

「うまかったよ。ありがとうな」「ごちそうさん。またな」

 少年院にいたとき、教官が「本物は続く。続けば力になる」と口にしていた。翔さんは炊き出しも同じだと考えているという。

 100回の節目でも、特にセレモニーはなかった。その後も淡々と回を重ね、24年末で180回近くになった。

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