ずっと一緒に歩いていたい主人公になった
〈まんまこと〉シリーズは江戸に住む人々の暮らしを忠実に再現し、現在とは違う社会のありようを描くことで、その時代ならではの心性を浮かび上がらせてくれる物語である。しかしその中に、今に通じるものが封入されてもいる。あからさまに前面には出てこないが、物語が曲がり角を迎えたり、大団円に到達したときなどに、ふっと姿を現すのである。そのアナクロニズム、すなわち時代を超えたものを忍び込ませる技法が、本作をより身近なものとして読者に認識させるのだ。
連作としては非常に完成度が高く、既刊と比べても『おやごころ』は短篇集としての出来が飛びぬけているように感じた。話に小道具や設定を組み込む手つきが巧いのである。たとえば「こころのこり」では江戸店、つまり上方に本店のある江戸支店のありようが、事件を引き起こす原因の一つになっている。また、ある芝居がきっかけとなって事態が動き出すという展開もいい。話に無駄な部分がなく、必要な箇所にふさわしい部品がぴたぴたっと嵌まっている感覚がある。
個々の話がおもしろいのはもちろんなのだが、六話すべてがまったく違う内容である点も工夫と言えるだろう。麻之助が頼まれ事をしてそれを解決するまで、という大枠は同じなのだが、中の展開がまったく異なるのである。「よめごりょう」では一つ問題を解決しようとすると次の揉め事がやってくるという、転がり続ける事態が描かれる。両親の無理解に苦しむ女性を救おうとする「おやごころ」では、手を尽くしたもののどれもうまくいかず、八方ふさがりになった麻之助が発想の転換をすることで打開策を発見する。特に興趣を覚えたのは「麻之助走る」で、表面上の変化はないのに町の中で何かが起きていて、それが町役人たちを動揺させるのである。正体の見えない何かによって今いる場所の安寧が奪われていくのではないか、という不安は現代にも通底するものではないか。
こうした問題に、すっかりたくましくなった麻之助が立ち向かう。たくましくなったと言っても、見かけはそれほど変わっているわけではない。だが、読者は知っている。そののほほんとした顔の下に、どれほど誠実で、優しい心が隠されているかということを。
この人とならずっと一緒に歩いていける。ずっと一緒に歩いていたい。高橋麻之助は、そういう主人公になった。お和歌、宗吾と共に、手をつないでどこまでも。

