謝罪文「読み上げ」の理由は?
またこのバイアスの背景には、自尊心を保ちたい、自分がどう見られているかコントロールしたいという気持ちがあると言われる。間違ってはいけないと謝罪文を読み上げた栄氏の行動は、彼のバイアスの強さを感じさせる。そのため相手目線ではなく、挙げ足を取られたくない、失敗したくないという自己保身の気持ちが前面に出てしまう。それよりも、コミュニケーション不足を原因と言い、それを改善していこうとするのなら、言葉が足りず、話すのが下手であっても、ここは自らの言葉で話すべきだったと思う。謝罪文を読み上げるというやり方では、改善への意識が感じられない。
至学館大学の監督として現場復帰した栄氏は、「学長から、全員があなたの指導を受けたいと言っているよ」と言われたと、今にも泣きそうな顔をした。選手たちが栄氏に求め、人々が彼に求め信頼していたのは、その指導力だ。だが今回、その信頼していた分野で、栄氏は選手やコーチに対してパワハラを行い、人々の期待を裏切った。これは日大の内田正人前監督にも言えることだ。
信頼されていた分野だからこそ、謝罪の仕方とスピードが重要なのに、彼らは自己保身を優先して対応を間違えた。誠意ある謝罪に必要なのは、言い訳をしない、自分ファーストにしない、自分の立場を守ろうとしないこと。そして心から謝罪する意思を持つことだ。上辺だけの謝罪だと、自らの無意識から出てくる仕草や表情に足をすくわれることになる。
やらない方がよかったのにという会見
協会では改善プログラムが行われるらしいが、内容も時期も未定のまま。プログラムを受けながら、至学館の指導を続けるのかと聞かれた栄氏は、この会見中、一番大きく目を開いて眉間にシワを寄せ、「大学での指導を辞めておけというなら辞める」と語気を強めていたが、大会中の行動などから反省の色なしと判断され、監督を解任された。大学も協会も、パワハラ問題に対して、今後、どのように取り組むつもりなのか。栄氏の解任で幕引きをしてしまうのだろうか。
なぜこのタイミングで、こんな会見を開いたのか。「やらない方がよかったのに」という会見を見ていると、謝罪や反省の気持ちがあるかないかは、言動のどこかに表れてくることがわかるだろう。無意識のうちにそれを察知する人の目を侮ってはいけない。