ライブドアとフジテレビがニッポン放送の買収をめぐって激突してから20年が経つ。

 その節目の年にニッポン放送の社長だった亀渕昭信氏が当時綴っていた日記が公開された(「文藝春秋」2025年6月号、「文藝春秋PLUS」)。

“日記”の公開に踏み切った理由

 ライブドアとの攻防の裏側でいったい何が起きていたのか? 貴重な時代の証言だ。

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「以前からその記録を私に発表してほしい、という声がありました。関係者の多くが物故していく中、何とかやらねばと思いつづけていました。そこで昨年、『文藝春秋』から依頼を受け、20年を迎える前に意を決し、当時の日記を元にあの騒動の記録を残すことにしました」

亀渕昭信氏 ©文藝春秋

 と亀渕氏は、公開に踏み切った理由を語る。

亀渕氏の「最初の敵」は日枝氏だった

 ホリエモンこと堀江貴文氏が率いるライブドアがニッポン放送の約30%の株を取得したのは、2005年2月8日早朝。ここからあの騒動の幕が上がるが、日記からは実は亀渕氏の最初の敵は、当時のフジテレビ会長・日枝久氏だったことがわかる。

堀江貴文氏 ©時事通信社

 亀渕氏がニッポン放送に入社したのは、1964年。番組制作、ディスクジョッキーなどを経て、1999年にニッポン放送社長に就任した。当時、ニッポン放送はフジテレビ、ポニーキャニオン、産経新聞、横浜ベイスターズ、扶桑社、サンケイビルなどを擁するフジサンケイグループのトップに君臨していた。つまり、ニッポン放送が約32%の株を持つフジテレビは子会社のひとつ。ニッポン放送株の過半数を手中に収めれば、フジテレビだけでなく、フジサンケイグループ全体を掌握できる状況だった。

日枝久氏 ©時事通信社

 日枝会長は、この“資本のねじれ”を一刻も早く解消しなければならない、と考えていた。そのため、日枝会長はことあるごとにTOB(株式公開買い付け)によるニッポン放送の子会社化を要請した。これはニッポン放送とフジの親子関係を逆転させることを意味する。しかし、これに最後まで抵抗したのが、亀渕氏だった。