一番標的にされたのは、やっぱり俺の喋り方だった。モノマネされて、馬鹿にされて、俺は日に日に人前で喋ることが嫌になっていった。

 俺もやり返そうとするんだけど、そうするとどうしても、荒っぽいやり方に頼るしかなかった。ひとりじゃ勝てないから、教室の椅子を振り回したりとかしてさ。加減がわからなくて、いつもやりすぎちゃうんだ。

写真はイメージ ©getty

 母さんは菓子折りを持って、毎日のように色んな家庭に謝りに行ってくれてた。

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 今は感謝してるけど、当時はそれがちょっとだけ気に入らなかった。なんか、俺だけが悪者にされてる気がしたんだ。母さんは口癖みたいに、「やられても我慢しなさい」って俺に言ってきた。

 学校じゃそんな感じだし、日常生活の方も散々だった。

 俺は運動だけじゃなくて、生活全般が上手くできないんだ。物事を理解したり、集中したりする能力がことごとく欠けてる。

 特になくしものはひどかったな。

 ある日、ランドセルをなくしたことがある。あんなにデカい物をどうやってなくすんだって思うけど、多分どっかに置いてきて、そのまま忘れてしまったんだ。

 俺のランドセルは学校の近くの用水路を流れて、行き着いた先の川で発見された。

 発見した警察から、母さんに慌てて連絡が来てさ、

「息子さんは無事ですか!?」

 だって。

 持ち主がわからないランドセルが川にプカプカ浮いてたら、そりゃ何かの事件だと思うよな。母さんはカンカンに怒ってた。

今も語り草になってる「ダメエピソード」

 こういうダメなエピソードは、腐るほどあるよ。

 今でも我が家の語り草になってるのが、ある年の「母の日」の出来事だ。

次の記事に続く 嬉しいような、困ったような表情に…母を喜ばせるため「タンポポの花束」を作った知的障がいのある小学生→母親が素直に喜べなかった「意外すぎる理由」

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