各電車の走り方を記録してみると…
《これはダイヤに無理があるのではないか》
そう感じた木下は、朝の出勤時に、乗車する新三田駅から上り快速電車の停車する宝塚、中山寺、川西池田、伊丹、そして尼崎までの各区間ごとの走行時間と、各駅での停車時間を記録してみた。特に駅での停車時間については、停車後のドアが開けられてから閉じられるまでの時間も記録した。
時刻の正確さを期すために、時間の計測は携帯電話の表示を利用した。勤め先が通信機器メーカーだったので、製品の品質のデータなど数値を正確に把握する習性が身についていた。
このような電車の走行時間と停車時間の実測値を記録してみると、各電車の走り方は、必ずしもダイヤ通りになっていない場合が極めて多いことや停車駅でドアの開いている時間が所定の停車時間より短いこと、ドアが閉まりかかっているのに駆け込む乗客が多く、ドアの閉め直しをするために停車時間が長くなり、ダイヤの遅れの原因になっていることなどがよくわかった。
快速電車のダイヤ通りではない走り方に疑問を抱きつつも、一乗客に過ぎない木下は、どうしたらよいか、すぐには思いつかないまま、毎朝福知山線での出勤を続けていた。そして、翌年2005年4月25日、大事故が発生し、学生だった長男・和哉のいのちが奪われた。
事故後、改めて快速電車がどのような走り方をしているかを測定
無理なダイヤについては、和哉の死と重なりあい、ますます問題視する意識が強くなった。
木下は、事故から2年後の2007年6月に、事故調が発表した事故調査報告書を読んだ時、やはりダイヤに無理があったことが詳細に分析されていると感じ、改めて毎朝自分の乗る快速電車がどのような走り方をしているかを測定してみようと、乗車する度に、最前部の車両の運転席のすぐ後ろに立って、事故前にやったのと同じように、停車駅区間ごとの走行時間、停車駅における停車時間、ドアの開閉に要する時間を差し引いた実際にドアの開いている時間の測定をして記録することを始めた。運転台にある速度計もウォッチした。
事故後は福知山線のダイヤの修正がなされ、途中停車駅の停車時間は、15秒だった駅もすべて20秒に変更されていたが、それでも20秒ではドアを閉められずに、5秒から10秒遅れることが少なくなかった。
新たに気づいたのは、ダイヤで計画された停車時分20秒の中には、停車してからドアが開き切るまでの時間とドアが閉じる時間が含まれていないということだった。開く時間と閉まる時間を足すと、1秒ないし1秒程度であっても、停車駅が3カ所になれば、合わせて5秒前後の時間になるのだ。
