乗員乗客107人の死者を出した、JR史上最悪の惨事・福知山線脱線事故から20年。脱線・転覆の10秒間に、いったい何が起きていたのか。生死を分けたものは何だったのか。重傷を負った生存者にふりかかった様々な苦悩と、再生への歩みとは――。

 ここでは、遺族、重傷を負った被害者たち、医療従事者、企業の対応など、多角的な取材を重ねてきたノンフィクション作家・柳田邦男氏の著書『それでも人生にYesと言うために JR福知山線事故の真因と被害者の20年』(文藝春秋)より一部を抜粋。JR西日本と遺族が行った「福知山線列車脱線事故の課題検討会」の内容を紹介する。(全3回の3回目/1回目から読む

夜も救出作業を行っていた事故当時 ©時事通信社

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「開通時分」「停車時分」についての課題

 課題検討会でダイヤ担当課長による説明が一通り済むと、淺野が質問した。

「事故を起こした電車の運行状況に関することだが、配布資料によると、始発の宝塚駅における発車までの停車時分、いわゆる『開通時分』ですね、それと他の駅での『停車時分』について、『課題があるものでした』と書かれているけれど、これは具体的にどういうことなのか」

 課長「1つには、宝塚駅での発車までの停車時分を1分30秒としていたのですが、先に発車する福知山方面から来る急行列車が遅れがちなので、快速はどうしても1分30秒では発車できないことが多かった。そこで1分35秒なり1分40秒なり、停車時分をもう少し長くしたダイヤにすべきではないかということ。

 もう1つは、途中の停車駅の『停車時分』についてですが、中山寺駅での15秒、川西池田駅での20秒、伊丹駅での15秒という設定になっていましたが、いずれの駅でも、乗車しようとする客の多さや駆け込み乗車などでダイヤ通りの『停車時分』では足りないことが多かったということです」

 淺野「なぜ『停車時分』を変えなかったのか」