JRの説明資料と事故調の「報告書」の違い
木下「その理由を知りたいんです」
課長「私共も今回調べてみたらなかったということを知ったのでして、なぜないのかまではまだ明らかにすることができていないのです。ともあれこの区間を特別扱いしていたわけではないと思います」
木下は、怒りが込み上げてくるのを懸命に抑えながら、質問を続けた。
「説明資料によると、宝塚駅発の上り快速電車は、尼崎駅到着が定常的に分単位で遅れるという状態にはなっていなかったと記されている。しかし、事故調の『報告書』には、『事故前65日間の半数以上の日に1分以上遅延して尼崎駅に到着するという、定刻どおり運転されることが少ないものであったと考えられる』と書かれている。
JRが説明資料に記している快速電車の運転時分の数字と事故調が『報告書』に記している運転時分には違いがある。おかしいじゃないですか。この違いは、どういうことなのか」
課長「事故調がどういうデータを根拠にしているのかはわかりません。独自の方法で計算したのだと思われます。私共は私共なりに分析したものを示しました」
木下「宝塚駅~尼崎駅間のダイヤには無理はなかった。運転士がストレスを感じるほどのものではなかったというために、都合よく計算してるのではないかと思えてならない」
課長「そんなことはないです。事故調がどういうデータで計算しているのかは、私共にはわかりませんので、事故調の指摘について評価することはできません」
JR側は理論と机上の計算で数字をはじき出すばかり
木下は、自分の感情の防波堤が決壊寸前になっているのを感じた。自分は息子のいのちを奪ったものは何か、その真相を何としても捉えたくて、自分のいのちを賭けるほどの思いで、ダイヤの実態を明らかにしようとしているのに、JR側は理論と机上の計算で数字をはじき出し、問題はなかったとしようとしている。
机上の計算結果がどんなものであろうと、自分が毎朝快速電車に乗って、走行と停車の時分を計測し記録してきた現実は、きれいごとで済ませることなどできないものだった。途中の停車駅での停車時分が10秒や20秒では、足りない状況だということは、議論の余地のないものだった。
