困った真知子は飲食店でアルバイトを始め、生活保護を受けながら、両親の援助で子どもを育てるという厳しい境遇に陥った。国際スターどころか、その日の生活費にも事欠くようになってしまったのである。
37歳のときに結婚相談所に登録「意地でも幸せになってやる」
37歳のとき、真知子はプライドをかなぐり捨て、結婚相談所に登録した。もう一人身はガマンできない。金持ちの男をつかまえて、意地でも幸せになってやる――。
真知子はプロフィールにこれまでの栄光を書き連ね、職業欄には見栄を張って、「現役モデル」と書き記した。
反響は予想以上だった。次々と「結婚したい」という男性が現れ、面会希望が殺到したのだ。今でも自分の市場価値が下落していないことを再確認できたのである。
「ほう、元ミス日本で、ハリウッド映画にも出演したんですか。願ってもない人ですよ、あなたは」
「でも、アメリカに行っていたせいで、芸能界の仕事がなくなっちゃって、メイク代にも困っているんです」
「それなら、ボクが出してあげるよ」
初期の頃、ある男性がポーンと600万円もの大金を出してくれた。「結婚してくれるなら、好きに使っていい」というのである。
別の男性からも結婚を前提に資金援助を受けた。真知子の金回りは途端に良くなった。自分と結婚できると思えば、こんなにも簡単に金を出してくれるのか。
真知子は息子を連れてマンションを借り、それまでのひもじい生活とオサラバした。
3人の男性と「結婚前提」のお付き合い
結局、3人の男性と「結婚前提」に付き合うことにした真知子は、月30万円で家政婦を雇い、週末は必ず寿司屋で食事。月100万円も使うセレブ生活をスタートさせた。
「息子がまだ小さいので、あなたの住む家に私たちが身を寄せるわけにはいかない。息子が大きくなったら、結婚しましょうね」
男性たちはそれを信じて、延々と貢いだ。ある男性は8年間で1600万円も貢がされていた。息子が高校生になると、「サッカーの遠征でブラジルに行くことになった」などとデタラメを言われ、その費用を支払わされた。
また、別の男性は1500万円以上を貢がされていた。寝物語に甘えられると、10万円、20万円と言われるがままに振り込んでしまった。
真知子はそれぞれの男性たちとローテーションで会い、結婚をエサにした究極の援助交際生活を確立させた。
「まだ足りないわ。どこかに金持ちの男、いないかしら」
強欲な真知子は再び、別の結婚相談所に登録することにした。そこで知り合ったのが中西徹さん(当時58)である。中西さんは年収1200万円の会社経営者だった。
その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。
