「いや、無理。まだ遊びたいし、やりたいこともあるし」
正式に結婚を経て、避妊もせずに性交を繰り返していたと20代の夫婦。やがて妻は妊娠。夫にそれを伝えると、なんと冒頭のように拒絶され、中絶手術を強要される事態に…。最終的には妻が夫を殺害する事件にまで発展した理由とは? 平成3年に起きた事件の顛末を、2016年から気になる事件をまとめるサイト『事件備忘録』を運営する事件備忘録@中の人の新刊『好きだったあなた 殺すしかなかった私』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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「夫を刺した」と119番通報
平成3年1月21日午後7時半ごろ、「夫を刺した」という119番通報が入った。埼玉県川口市内のアパートの一室に署員が急行すると、そこには住人の男性が腹部から大量に出血した状態で倒れていた。都内の病院へ搬送されたものの、男性はその後、死亡が確認された。
死亡したのは、川口市在住の塗装工、垣内拓海さん(仮名/当時21歳)。拓海さんは腹部を包丁で一突きにされており、腹部盲管刺創による臓器損傷に伴う出血性ショック死だった。現場の状況から、通報者であり拓海さんの妻である幸子(当時20歳)を、拓海さん殺害容疑で逮捕した。幸子は妊娠6か月の身重だった。
若く、子供にも恵まれた前途のある夫婦の間に何があったのか。そこにはありがちな嫉妬、経済的な問題などということのみならず、幸子の過酷な人生と、直前の出来事が影響していた。
ふたりのそれまで
幸子と拓海さんの出会いは中学時代。そのころから交際をしていたというふたりだったが、とにかく拓海さんは幸子にとって恋焦がれた最愛の人物であった。
平成2年6月にふたりは若くして結婚。できちゃった婚でもなく、そこには愛し愛される若い幸せなふたりの絆を感じられた。しかし若いふたりの経済観念は乏しく、結婚しても趣味の車いじりをやめられなかった拓海さんが幸子に渡す家計費は月6万円ほどだったという。それでも愛する人と結婚できた喜びが遥かに勝っていた幸子は、不満を口にすることもなく、たまに実母から食料の援助やお小遣いをもらいながら慎ましい生活を送っていた。
その年の秋、幸子の体に変調が現れる。生理が来なくなったのだ。
