ただ幸子自身、虚弱体質で小柄だったということで、おそらくそれまでにも生理不順などあったのだろう、そのときは特に何も気にしていなかったようだ。ところが平成3年になって、胎動のようなものを感じたことから幸子は産婦人科を受診。そこで初めて、自身が妊娠5か月目であることを知る。エコー写真を見せられ、幸子はいたく感動した。

 愛する人との、それこそ愛の結晶だった。私も母になるのだ。お腹の中ですくすくと育っている赤ちゃんに愛おしさを感じ、その喜びを夫である拓海さんとも分かち合いたいと帰路を急いだ。

 しかし、帰宅した拓海さんの口からは信じられない言葉が発せられた。

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夫も義両親も妊娠を拒絶

「いや、無理。まだ遊びたいし、やりたいこともあるし」

 繰り返すが、このふたりは正式に結婚しており、確かに貧しい暮らしではあったようだが拓海さんは職も持っていた。その状況で妊娠を告げたとき、まさか夫からこのような言葉が出ると思うだろうか。

 健康な男女が結婚し、同居しそれなりに夫婦生活を健全に行っていれば妊娠は自然なことである。もちろん、諸事情で妊娠を先延ばしにしたい夫婦もいるだろう、それならば避妊するなどして家族計画をしていくのだ。

 しかし拓海さんは特にそのような、「妊娠してほしくない」という様子もそれまで見られなかったし、妊娠しても不思議はないセックスをしていた。にもかかわらず「いや、無理」とは、どういうことか。

 混乱した幸子がすがっても、拓海さんの態度は変わらなかった。それだけではなく、拓海さんの両親までもが幸子の出産に猛反対してきたのだ。

 拓海さんの両親による出産への反対は熾烈を極めた。言葉で翻意させるにとどまらず、幸子は義母に産婦人科へと強制的に連れていかれる。そして、中絶手術を強要されたのだ。

写真はイメージ ©getty

 さらにはあまりの事態に仲裁をしようとする産婦人科医を前に、中絶に同意しない幸子を罵倒したという。当然、幸子本人の同意なしでの中絶などできるはずもなかったが、あまりの屈辱と恐怖からショックを受けた幸子は泣きながらやっとの思いで自宅アパートへと帰った。

 そして、唯一の友人である女性に電話をすると、事の次第を話したという。その女性は、拓海さんの実家が経営する塗装店の従業員であり、かつ拓海さんとも親しい友人である男性と交際しており、かねてから幸子の悩みを聞いていた。その日も、幸子をなだめ、慰めながら話を聞いていたというが、この日の幸子はいつもと違っていた。

 普段は少々わがままで依存体質ではあるものの、凶暴な面はなかったというが、この日の幸子は興奮覚めやらぬといった体で「寝ている間に拓海を刺して自分も死ぬ」などと物騒なことを口にした。そして電話を切った幸子は、その言葉を裏付けるかのように金物店へ出向いて刃渡り16.7センチの文化包丁を一丁購入し、寝室のベッドの下にしのばせた。

次の記事に続く 《懲役は…》「夫を殺すか」「赤ちゃんを中絶するか」“最悪の二択”を突きつけられたIQ55・妊娠6か月女性のその後(平成3年の事件)

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