〈こんな世の中はもうダメだ。今日は最良の日。私と一緒に幸せの国へ行きましょう〉――2016年、秋田で母親が9歳の娘の首を絞めて殺害し、自身の命も断とうとした事件。この不幸な事件はなぜ起きたのか? 引き金となった出来事を、ノンフィクションライターの高木瑞穂氏の新刊『殺人の追憶』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全4回の最終回/最初から読む)

写真はイメージ ©getty

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離婚後の元妻と娘の生活

 離婚成立から1ヶ月後、朋美は行政を頼り美咲さんを連れて大仙市(旧大曲市)内の県営住宅に転居した。そして1年後、事件現場となった秋田市内のアパートに移り住む。命をつないだのは国の助けだった。康祐ナシでは暮らしが立ち行かなくなり、生活保護を受けた。しかし、前述した通り、児童相談所により母親による養育が困難と判断されて、結局は美咲さんを秋田市内の児童保育院に預けることになった。

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 児童保育院は朋美の対応に困った。子供に対する庇護意識からなのか、康祐に見つかったら困るからと美咲さんの部屋を角部屋へ移動させろと息巻いたり、頻繁に一時帰宅を要求する。いわゆるクレーマーだった。

 この問題行動は、児童保育院内で波紋を呼んだ。入所当初から、児童保育院側は手を焼き、その対応は施設を所管する児童相談所に投げられた。

 それが充分な議論や調査がされぬまま児童保育院の判断に委ねられてしまったのは、あくまで美咲さんの親権は母親の朋美にあったことが大きい。朋美は「親権」という法律上の権力を行使することによって、ここでもマウントを取ることに成功し、些細なことから一時帰宅まで自我を押し通せるポジションを手にした。

 一方で、美咲さんはどんな生活を送っていたのか、それは康祐が裁判や独自の調査でわかったことだとして、次のように話してくれた。

「負けず嫌いな性格が災いして、うまく周囲と馴染めていなかったようです。問題児とうか、トラブルメーカーというか」

 事件後に秋田県社会福祉審議会が作成した報告書によれば、「叫び声を上げて走り回ったり、言うことを聞かず、職員が押さえても地団駄を踏んで暴れたりという状況であった」ようだ。

娘が起こした「ある事件」

 一つだけ顕著な例を挙げよう。あるとき美咲さんは、友達の耳たぶに鉛筆の芯を突き刺す事件を起こしたという。康祐が補足する。

「裁判で意見書を書いてもらったお医者さんの話では、やはり母親や家庭に問題があると、子供の精神状態にも影響すると。その精神状態は、この耳たぶ事件のような問題行動となって現れるらしいんですよ」

 康祐は朋美の元に一時帰宅する美咲さんの様子も話してくれた。

「家での朋美は寝てばっかりで、美咲に『ご飯何食べたの?』って聞けば『スナック菓子』って答えるらしいんですよ。施設から出るときには『ママ』って駆け寄っていく様子が見られたらしいんですよ。家ではそんな状況だから、施設を出るときは喜び勇んで朋美に駆け寄っていくんだけど、戻ると精神が不安定になっていていろんな問題を起こすらしいんですよ」

 康祐の話を通して浮き彫りになったのは、こじれた親子関係からくる「愛着障害」だ。