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前3軍監督の佐々木氏が語る平和台時代のホークス

 平和台時代のホークスを代表するスター選手だった佐々木誠氏にも当時の話を聞いたことがあるが、「福岡移転1年目の頃の西武戦は、ダイエーファンが2割で西武ファンが8割だった」と振り返っていた。

「ライトスタンドにもライオンズファンがなだれ込んでいる状況だった。でも、ホークスのファンはモラルに反することなくしっかり応援してくれたのを覚えています。もちろん、僕らもこっちがホームなのに……って悔しくてね。絶対に勝ってやろうと思って気合入れて臨んでました。でも相手を見たら今日は渡辺(久信)か~、次は工藤(公康)、そして石井(丈裕)? 毎日エースやないかってみんなで苦笑いしてました。なかなか勝てずにファンには申し訳なかったけど、少しずつホークスファンが増えていってホーム球場らしくなった。たくさんの人の努力や苦労があったと思います。僕らも励みになっていました」

 ちなみに佐々木氏は昨年までホークス3軍監督を務めて若鷹の育成に尽力し、今年から鹿児島城西高校の監督を務めている。余談だが、同校はあの「半端ない」サッカー大迫勇也選手の出身校だ。

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平和台時代のホークスを代表するスター選手だった佐々木誠氏 ©文藝春秋

 話は戻るが、この帽子、子どもの頃は何も思わなかったが今になって気づいた点がある。内側には企業広告が入っているのだ。このアイデアもここ最近では当たり前だが、当時から実践していたことには非常に驚いた。

角田氏「球場看板も多かったし、試合毎に協賛を募って『○○スペシャルデー』など冠試合を最初に始めたのもホークスだった。チームは弱いけど、営業はナンバーワンなんて皮肉も言われました(笑)」

 今や球界トップクラスの人気と実力を兼ね備える球団となったホークス。その礎を築いてくれた多くの人たちの情熱と努力があったことを、この野球帽は教えてくれた。

 この30年ほどでプロ野球はプロスポーツビジネスとして、ずいぶんと成熟したことも知るきっかけになった。だが一方で、その努力は、野球人気衰退や野球人口減少の危機感の裏返しでもある。

 野球帽を被る小学生も昔ほど見かけなくなった。2018年にまた福岡から巻き起こるムーブメント。これが子どもたちのプロ野球への誇りと愛を、街の風景の中にはっきりとした形で取り戻す起因になるかもしれない。この活動、これからの継続と拡大を大いに期待したい。

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