「遠くまでご足労いただき、ありがとうございます」

そう言いながら登場したのは、優しい目じりが印象的な車掌の金親(かねおや)幹彦さん(57)。19歳で京王電鉄に入社し、乗務員歴32年のベテランだ。同乗務区には、現在約60人の車掌が在籍しており、先の男性が聞いたような神アナウンスをする車掌は他に3人いるという。

そのなかでも金親さんが最も乗客からの評判がよく「称賛の声をいただく数が多い」(森田夢人富士見ヶ丘乗務区副乗務区長)だそう。

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なぜ金親さんは、アナウンスに力をいれるようになったのか。

「お疲れ様でした」に込めたメッセージ

神アナウンスのきっかけはコロナ禍だった。

京王電鉄の資料によると、2020年度の京王線の輸送人員は前年度比で約33.5%減少。通勤・通学客はテレワークやオンライン授業への切り替わりで減少し、シニア層も外出を控えるように。いつも賑やかな渋谷駅や吉祥寺駅でさえ、活気を失っていた。

なにより金親さんが気がかりだったのは、乗客の表情だった。

「ご自身のパーソナルスペースを守ることで精いっぱいといった様子で、お客さまの表情が本当に暗かったんです。窓の外を見る余裕もなく、手元のスマホに没頭しているような感じでした」(金親さん)

少しでも明るさを取り戻してもらうために、車掌として自分にできることは何なのか――。考え抜いた結果、思いついたのはアナウンスを工夫することだった。

駅の到着時に「いってらっしゃいませ」「今日もお疲れさまでした」と言ったあいさつを積極的に添えるようにした。なかでも、特に「お疲れさまでした」という言葉には強い思いがあるという。

金親さんは言う。

「井の頭線は駅間が短く、意外とメッセージを言う尺が取れないんです。なので、短い言葉で端的に思いが伝わり、かつしつこくならない言葉を考えて『お疲れさまでした』にたどり着きました。

普段生活していると頑張っても、報われなかったり、成果が出なかったりすることってありますよね。『お疲れさまでした』という言葉は、それでもその人の行動すべてを肯定する言葉だと思うんです。今日を乗り越えて本当にご苦労さまでした、という思いを込めています」