しかし症状は一向によくならず、2年生の4月に初めて自殺未遂をして以降、5月からはオーバードーズも繰り返すようになっていた。
「初めて死のうと思ったのは、1人で自分の部屋にいるときでした。家は好きなので、『最後は家で』と。ひどい時は、平日で学校があるときには毎日のように死にたくなって、首に電気コードの跡が残ったり、何度か意識を失ったこともあります。学校では解熱鎮痛剤のオーバードーズをしました。教室で荷物を探すふりをしたり、目を盗んで飲むんです。今まで50回くらいはしたと思います」
マサハルくんの家庭は母子家庭で、あらゆる対応を2人でする必要があったが、学校の調査の進捗を遅いと感じたマサハルくんは、6月以降は県の教育委員会にも相談している。こちらの反応は学校よりも早かった。
「7月にPTSDの診断を受けた時点で、母と一緒に教育委員会に相談に行きました。1回目は診断書と一緒に、対応をお願いする書類を持って行きました。2回目の相談で『第三者委員会を設置してほしい』とお願いしたら『いじめ重大事態』に認定され、7月に文科省の人と電話で相談したり、国会議員の方に相談したりしていました」
イジメの加害生徒に対する学校の指導が始まったのは7月だった。まず7日間の特別指導が行われ、夏休み中に警察が生徒3人に対して改めて聞き取り調査を行っている。学校の聞き取りに対して1人は「下半身とお尻を触った」と認めたが、2人は認めなかったという。
「3人とも授業中に目があうだけで中指を立てて『死ね』と言われましたし、休み時間も突然『死ね』と何度も言われました。高校2年の4月には、食べ物を渡されて食べた後に下級生に『それ落ちたやつですよ』と言われたり、LINEで『カエルを焼き殺すぞ』などと書いて送ってきた。カエルは僕が飼っているペットです。すべて嫌がらせです」
イジメの主犯格は同級生の男子生徒3人だが、女子生徒からも別のイジメを受けていたという。
「女子には何度もパンチされました。2年生の10月頃は毎週やられました。先生に相談したらやられなくなったんですが、『ツッコミをいれただけだ』と言い訳をしたみたいです」
夏休みの終わり、2学期が近づいてきた8月下旬にマサハルさんは遺書を書いたこともある。
<お世話になりました。たくさんのありがとうの気持ちを伝えたいと思います。ありがとう。
最後に、私がなぜ自殺したかというきちんとした証拠になるように、ここでしっかりと明言しておきます。
同級生3人からのいじめ。いじめを告白した後の先輩、学校の先生、茨城県教育委員会の●●さんからの2次被害のようなものを受け、心身のショックを受けた。
詳しい内容は、ホワイトファイルを見てください。
私は、同級生3人、先輩、学校の教職員、茨城県教育委員会の方々を許すことは、命を懸けてできません。
残された方々には、たくさんの迷惑をかけてしまい、ごめんなさい。
私はもう生きることができないので、その代わりに、頑張って戦って欲しい。
よろしくお願いします。 令和6年8月22日 マサハル>
パソコンで作成した遺書をプリントアウトし、日付と名前は手書き。名前の左側には印鑑まで押している。
「何度も当時のことがフラッシュバックする。加害者たちは絶対に許せません」
2学期が始まった9月からは、イジメ加害生徒たちと離れるために学校に別室登校ができるように相談もしている。
「加害生徒たちと同じ教室なので、何か対応できないかと相談しました。最初は『教室が足りない』と言われ、スクールロイヤーに相談してもらえるようにお願いしましたが、学校から「申請が大変だから難しい」と言われ、自分たちで弁護士さんのところへ行きました。それで一部ですが別室登校になったんです」(母親)
7月には茨城県の教育委員会に依頼した第三者委員会が設置されている。しかし設置されたのを知ったのは今年の2月。報告書の作成者や、調査委員の選考基準などにマサハルくんと母親は納得していないが、今月から調査が開始されるという。現在、代理人弁護士を通じて教育委員会や第三者委員会と協議している。
「傷ついた息子を目の当たりにして、許せないというのが率直な気持ちです。加害生徒たちには二度とこのようなことを起こさないと反省して、謝罪してほしい」(母親)
マサハルくんは24年12月に別の高校に転学したが、人間への恐怖などは薄れておらず自殺未遂を繰り返している。
「何度も当時のことがフラッシュバックして苦しんでいますし、加害者たちは絶対に許せません。学校も転学するしかなくなり、夢が遠のきました。イジメという犯罪を許さない社会になってほしい」(マサハルくん)
イジメを受けた側が転学を余儀なくされ、苦しみ続ける状況は改善されなければならない。

