他球団を担当する先輩記者が、こんなことを言っていた。「今まで高校野球を見てきた中で一番、凄いバッターだなと思ったのは、光星の北條。本当に当時、凄いバッティングしていたから。将来、どんなバッターになるんだろうって」

 北條史也――。その名を一躍、全国にとどろかせたのは12年、光星学院(現八戸学院光星)3年時に出場した夏の甲子園。準決勝・東海大甲府戦で放った2打席連続の「バックスクリーン弾」は、強烈なインパクトを与えた。その年のドラフト会議で阪神から2位指名を受けた。1位は言うまでもなく、甲子園の決勝でしのぎを削った大阪桐蔭の藤浪晋太郎。藤浪に次世代エースの希望を見た者がいれば、待望久しい右の大砲誕生の夢を北條に託したファンも少なくなかったはずだ。

光星学院時代の北條史也 ©文藝春秋

プロ5年間で味わった天国と地獄

 あの秋から時間は過ぎた。プロ6年目、間もなく24歳になる北條は今、生存競争のまっただ中にいる。いや、「振り出し」と表現した方が正しいかもしれない。一度はレギュラーをつかみかけていた男は、手放した定位置を再び、奪いにいっている。

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 プロ5年間で天国と地獄を味わった。転機が訪れたのは、4年目だった16年。就任した金本知憲監督に潜在能力を評価され、1軍で出場機会を得た。夏場には不振で連続フルイニング出場が667試合で止まった鳥谷敬に替わって遊撃に定着。自己最多122試合に出場し、5本塁打、33打点とステップを踏んだ1年になった。

16年に自己最多となる122試合に出場し、レギュラーを掴んだかのように思えたが… ©文藝春秋

 だが、翌17年は開幕スタメンに名を連ねながら、一向に状態が上がってこず、6月下旬には2軍降格。一気にスターダムへ駆け上がるはずの1年は、83試合の出場に止まり、レギュラーの座は幻に消えた。皮肉にも、自身が不振に喘ぐ間には、攻守でしぶとさが目立った新人の糸原健斗が輝きを放ち、チーム随一の俊足を誇る植田海も終盤にプロ初安打をマークして台頭。今春もキャンプでの遊撃争いは終始、糸原がリードする展開で、開幕ロースター入りした植田とは対照的に2軍でプロ6年目は始まった。

 昨年、北條はポツリと漏らしていた。「1軍では1つミスしたら出番が減る。野球が怖いと思いました。今まで野球でそんなこと思ったことなかったんで……」。ファームでは、次戦への糧とできる1つのミスも、1軍では自らの立場を危うくしてしまう。技術面だけでない「プロの壁」にぶつかっていた。