「人間」らしい結婚が、「権威」にがんじがらめになっている
とはいえ『週刊新潮』は、宮内庁担当の記者にもその責任の一端があるのではないかと手厳しく批判する。秋篠宮の結婚をめぐる対応で、「宮内庁の内容空疎な事大主義、形式主義に記者たちまでが染まってしまった」という。もっと「開かれた皇室」を人々にアピールする機会だったのではないか、との提起である。「権威」にとらわれない「人間」らしい結婚が、むしろ「権威」にがんじがらめになっているとの批判だった。ジャーナリストの小田桐誠は、記者それぞれは「問題意識や疑問を持っているにもかかわらず、それが紙面や映像にあらわれないのはなぜかいつも不思議に思う」と述べ、そこには「横並び意識」があるという意見を展開する。個々には様々な問題意識を持ちながら、総体としては批判的な見解を持たずに大勢に追随していく傾向がメディアにはあるのではないかという指摘である。
さらに『週刊ポスト』は、新聞やテレビなどの一連の報道を、「『奉祝押しつけ』現象」と断じた。「消費」的にこの結婚を報じるメディアの姿勢を問い、様々な有識者にこの問題や天皇制の今後のあり方について意見を求める特集を組んだ。たとえば、ノンフィクション作家の猪瀬直樹は、「天皇と自分との距離をどうとるかという問題」を考えなければならないと述べている。「開かれた皇室」とはどうあるべきなのか、「権威」なのか「人間」なのか「消費」なのか、それを問うべきときにあるとの主張であった。翌週号でも『週刊ポスト』は同様の特集を続けており、秋篠宮の成婚は、週刊誌というメディアにおいても平成の天皇制をどう考えるべきかが提起される契機となった。
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