しかし旅の雰囲気というものもあり、私はそれ程トイレに関して心配していなかった。実際、旅の楽しい気分は便意をどこかへ追っ払ってくれる。この時もそうであった。皆で朝ごはんを食べ、着替え、うきうき気分でバス停へと向かった。バス停は田んぼ道の途中にあった。周りには何もない。ずっと遠くに民家が見えるくらいだ。バス停の時刻表にはほぼ一時間毎にしかバスが来ないことが記されており、皆で「次のバスに絶対乗らなきゃね」等と談笑していた。
あと三分程でバスが到着する。ここで、私の腹を稲妻が貫いた。お察しの通り、便意という名の青い稲妻である。
私は焦る。自分の体のことは自分が一番よくわかっている。この状態のまま、トイレのない世界に幽閉されるなんて絶対にいけない。だからといって周囲にトイレはない。トイレどころか何もない。どうしようか。次を逃したらバスは一時間来ない。私の焦りに友人たちは気付いた様子で、「どしたの、トイレ?」「だいじょーぶ?」等と声をかけてくる。そんな言葉には何の意味もない。私の頭の中は便意に支配されている。焦れば焦るほど、腹の中は大嵐になってくるのである。
これは無理だ。
殺し屋が、す、と銃を構えた時のように、私の心は凪いだ。これは無理だ。出る。
今、あの遠くに見える民家に突入しなければ、出る!
私はロケットスタートを切った。「えっ」「リョウ?」戸惑いを隠しきれない友人達の声を背中で受け止め、私は走った。風を切り、一点を見つめ、メロスのように走った。民家の前におじさんがいる。彼が私のセリヌンティウスだ。
「あのっ」
声をかけ、驚いたように振り返るおじさんに、私はいきなり「腹が限界だ」という旨を伝えた。おじさんがいい人で本当に良かった。おじさんは何の疑いもなく私を家にあげてくれたのだ。もしおじさんが私を不審人物だと見なしトイレの使用を断っていた場合、私は絶望と共に脱糞し本当の不審人物になっていただろう。
おじさんの家のリビングは家族だんらんの和やかな空気に包まれていたが、私は一瞬の迷いもなくそこを横断しトイレに辿りついた。何も考えられなかった。とにかく便座に座り神に感謝するしかなかった。
こんな、不審者かもしれない若者を心優しく受け入れてくださり、ウォシュレット付のトイレまで貸してくださったご家族に、この場を借りて最大限の感謝を示したい。私は用を足したあと、仏のような微笑みでお礼を述べた。本当に、ここまで人の優しさ、あたたかさを感じたことはなかったかもしれない。どれほど感謝をしても感謝しきれない思いだ。
迷惑だと思っていた便意のおかげで、思いがけず人の優しさに触れたなぁと感慨深い気持ちで民家を後にすると、私の目にある光景が飛び込んできた。
バスが来てる!
私は再びロケットスタートを切った。だけど先ほどとは違う。体が軽い。私は自由だ! 便意にとらわれていないという幸せを体感しながら、私は思う存分走った。友人が大きく手を振っているのが見える。あぁ、バスって、たった一人の乗客の便意のために待っていてくれるんだなぁ、と私はここでも思いがけない優しさを感じていたのである。
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朝井さんの便意によるハプニングは、『風と共にゆとりぬ』『そして誰もゆとらなくなった』でも綴られています。
明日は『風と共にゆとりぬ』よりエッセイを一本公開します。お楽しみに。
