直木賞作家・朝井リョウさんによるエッセイシリーズ“ゆとり三部作”。

時をかけるゆとり』『風と共にゆとりぬ』『そして誰もゆとらなくなった』から構成される本シリーズは「頭を空っぽにして読めるエッセイ」として話題を呼び、累計30万部を突破しています。

朝井リョウさんのエッセイシリーズ“ゆとり三部作”。©文藝春秋

『そして誰もゆとらなくなった』文庫版の発売を記念して、朝井さんが「読み始めに最適な一本」を各巻からそれぞれセレクトして公開します。

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 記念すべき第1弾『時をかけるゆとり』からは、「便意に司られる」が選ばれました。以下、朝井さんのコメントです。

「まさに1−1、ゲームのチュートリアルステージのような1編です。著者紹介代わりにお楽しみください。」

◆ ◆ ◆

 私はお腹が弱い。

 文字にするとなんとも情けない一行目だが、この事実は私を語る上で大変重要な項目だ。最重要といっていい。本のカバーについている著者略歴に書き加えるべきだと思う。私の正確な略歴は、「平成生まれ」や、デビュー作(単行本)のそれに加えられている謎の文言「大学ではダンスサークルに所属している」等ではなく、「岐阜県出身、5月生まれ。2009年に『桐島、部活やめるってよ』でデビュー。お腹が弱い」である。そうするべきである。

 お腹が弱いというか、要は私はビビリなのだ。例えば大切な試験の前とか、人前に出るような場などはもちろん危険である。それ以外に、普段と違う場所に行く、ということだけでも私の腹は悲鳴をあげる。例えば、この仕事をするようになり、テレビの収録だったり写真撮影だったり、非日常を体験することがたまにある。そういう時は危険だ。非日常に浮かれている私を、便意はいとも簡単に現実へ連れ戻してくれる。まるでうんこなど存在していないかのようなきらびやかな場にいたとしても、活発でやんちゃな便意により「ここにだってうんこはある」という現実を思い知るのである。

朝井リョウ『時をかけるゆとり』©文藝春秋

 私のような人は他にもいるだろうが、私ほど敏感に便意に(つかさど)られる人はなかなかいないのではないだろうか。私は電車や車すら苦手だ。なぜならそこにトイレがないからである。東京に出てきてからはたまにトイレのついている電車に巡り合うことがあり、その時はトイレのある車両を探し右往左往する。トイレがそばにあるというだけで安心なのだ。他には何もいらない。

 本題に入ろう。

 私は大学一年生のときに、演習クラスのメンバーと教授で、山梨県の河口湖に合宿に行った。大学、演習、教授、合宿と並ぶととてもアカデミックな響きに聞こえるが、実際はいかに遊び、いかにおいしいものを食べるかというただ人間の欲望に従順な旅だったように思う。

 その合宿の二日目か三日目かは忘れたが、その日は午前中のうちにバスで市街地のほうへ移動するというプランだった。宿泊していたコテージは河口湖の湖畔にあったため、バスで何十分か移動しなければ市街地に辿(たど)りつけなかったのだ。

 このプランを知った時点で、私の腹は反応する。バスで何十分もの移動。しかも、朝。私の腹が一番機能を狂わすのは朝なのだ。この時すでに、私の頭の中で地球は二つのエリアに区分される。トイレがある場所とトイレがない場所である。