二つの別の山を同時に登ろうとされていたのかなと
——まさに歌丸さんといえば『笑点』のイメージが強いですが、落語家としての「桂歌丸」を松之丞さんはどのように見ていたんでしょうか。
まだこの世界に入門する前、落語ばっかり聴いていた時代には寄席で師匠の高座を聴いたこともありました。ただ僕はやな客でしたから、「ああ、笑点の人か」ってかなりバカにした態度で聴いてたんです。そういう括りで見ていた。ところが、プロになってから魅力に取り憑かれていきました。たとえば間の取り方。「大間で話す」と言うんですが、噛み砕くように、ゆっくりと、お客様の反応を待ちながら語ってらっしゃる。おそらく、地方の大きなホールで話すことが多かったので、独特の間合いが自然と身についていたんでしょう。あの説得力は、講談の語り口としても勉強にもなりました。もともと新作落語をやっていた方なのに、古典では圓生型の端正な語り口だし、落語に命を燃やしながら、タレントとして最高峰の人だし……何というか落語家として、二つの別の山を同時に登ろうとされていたのかなと。私が言うと生意気ですが、そういう風にみえました。
——晩年になっても三遊亭圓朝の作品に取り組んだり、積極的に高座に上がっていた印象があります。
70歳超えて圓朝もののネタおろしをやるんですから、欲が深い。ネタおろしって、若手はともかくも、ベテランになればなるほど怖くてできないものです。名前が大きければ大きいほど、失敗した時のリスクは高くなりますから。でも歌丸師匠という人はブランドを背負いながら、それもやり遂げてしまったんですよね。リスク取ってる感じ、正直それはカッコいいなって思っていました。最晩年の呼吸器つけながら高座に上がる姿だって、芸に対する執念を背中で見せる迫力がすごかった。若手のやる気を奮い立たせるくらいの迫力。
習ってみたかった「真景累ヶ淵 お熊の懺悔」
——歌丸さんからもらった言葉などはありますか?
褒められたことがあるんですよ。「天保水滸伝 鹿島の棒祭り」という講談。歌丸師匠のドキュメンタリー番組を見ていたら、「今まで聴いてきた『鹿島の棒祭り』の中で松之丞のが一番いい」って言ってくださった。そんなわけはないんですが、そうやって褒めてのばそうとしてくれていたんでしょうね。落語家さんの後輩にだったら、そんな甘い言葉はかけないと思うんですが、講談という他ジャンルにも優しかった。
——若手への目配りが細やかというか……。
とにかく若手を大事にしてくれました。これくらいの大師匠になると、僕のような二ツ目に稽古をつけるなんてあり得ないんですよ。だけど、歌丸師匠は若手によく教えていましたから、僕にもチャンスがあったかもしれないって思いますね。講談にもなっている圓朝作「真景累ヶ淵」。私も「宗悦殺し」だけ持っているんですが、普通「聖天山」までで終わる人が多いのですが、その続きの「お熊の懺悔」。ご一緒した会でソデで拝聴致しました。私みたいなペーぺーが言うのはなんですが、習ってみたかった。心残りですね。でも、少しでもお話をする事が出来て良かったと思います。