「政界の暴れん坊」と呼ばれ、永田町からバラエティ番組まで幅広く活躍した“ハマコー”こと元衆議院議員の浜田幸一氏。「文藝春秋」8月号(7月10日発売)の大型特集「戦後80年の偉大なる変人才人」のインタビューで、長男の浜田靖一・元防衛大臣が、暴れん坊の父との相克の日々を明かした。聞き手は、政治ジャーナリストの青山和弘氏。
父親は、「自分の人生を生きた人」
「家庭を顧みず、勝手に自分の人生を生きた人でした」
父親をそう振り返る靖一氏。自宅に帰ってくるのは、盆と正月くらいだったという。
「それなのに、人の結婚式の仲人や主賓は喜んで引き受ける。ただ式の途中でさっさと帰っちゃうので、私がお袋と並んでよく上座に座らされました」
選挙期間には、躊躇なく革靴で田んぼに入って泥だらけになって有権者と握手していた。
「親父はそれを楽しんでいるというより、効果を見ている面がありました(略)。いわば演出なのです」
思いがけぬ対立も
そんな父親が、1992年に体調を崩して選挙に出ないと言い出し、靖一氏が後継者として選挙準備に入ったとき、波瀾が起きた。
「薬が効いたのか、親父が段々元気になってきたんです。癌らしきものも消えてしまった。翌年内閣不信任案が可決されて、衆議院が解散してもまだ正式に引退を発表しない。お袋も気を揉んでいるので、親父のところに行きました。『親父さん、この前話した通り僕は出馬させてもらいます』って言ったら、『おう、お前も頑張れ。俺もやるから』と。私は『わかりました』って席を立って出て来ちゃった」
このままでは親子が、同じ選挙区で対決する異例事態。その後、どう事態を収拾したのか――。
「文藝春秋」8月号及び、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載された靖一氏のインタビュー「東京湾を埋め立てろ」では、引退したがらない父との対立、幸一氏が「東京湾を埋め立てろ」と主張した理由、さらに、晩年に靖一氏の選挙応援で見せた涙などが赤裸々に語られている。
出典元
【文藝春秋 目次】永久保存版 戦後80周年記念大特集 戦後80年の偉大なる変人才人/総力取材 長嶋茂雄33人の証言 原辰徳、森祇晶、青山祐子ほか
2025年8月号
2025年7月9日 発売
1700円(税込)


