「4番、サード」の後継者、V9をともに成し遂げた立役者、35年の交流を持ったタレント、同世代の大作家……。「長嶋茂雄 33人の証言」から、厳選記事7本を紹介します。[全7本]


凄まじい怒り

「1993年に長嶋さんが巨人に復帰されると、監督と選手という関係になり、引退後の1999年には長嶋さんに呼ばれて監督とコーチという関係になり、その背中をずっと見続けてきたのです。松井(秀喜)くんが長嶋さんの薫陶を受け、長嶋さんを真正面から見てきたとすれば、私が見てきたのは背中です2025.7.9


シゲやんとの本当の仲

「長嶋さんは1歳上だけど、僕のほうが先にプロ入りしていたので、“シゲやん”と呼んでいました。初めて会ったのは1958(昭和33)年の明石キャンプでした。東京六大学野球のスターが来るとあって、明石の駅は始まって以来の黒山の人だかり。『これが六大学のスターなんだ』と驚かされました」2025.7.9


「結婚しないの?」は一度もなかった

「仕事で接していて驚いたのは、監督のセンサーのすごさです。インタビューの最中に、ケーブルを扱う新人スタッフがちょっとつまずくと話を止めて『大丈夫ですか?』。周囲の誰かがチラッと時計を見ただけでも感知するので、インタビュー中はスタッフ全員動かないようにと釘を刺していたほどです」2025.7.9


監督解任時の生放送で……

「あれは長嶋茂雄さんの80歳の誕生日パーティでの出来事でした。野球人生を振り返ってもらうために、聞き手の私は長嶋さんに目を閉じてもらい、こう続けました。『目を開けてください。最初に浮かんだシーンは何ですか』『天覧試合ですね』」2025.7.9


ノムさんと車椅子同士で握手

「野村(注:克也)さんが長嶋さんと最後に会ったのは2020年、金田正一さんのお別れの会でした。車椅子で祭壇の裏手に回ると、長嶋さんが車椅子に乗っていたのです。撮影される場では、自力で歩いていたのは、スーパースターのイメージを損なわないためだったのでしょう」2025.7.9


ラッキーセブンの3

「監督は明るい方でしたから、明るい話をしましょう。パーティーの席で、ニッポン放送のアナウンサーだった深澤弘さんにご紹介いただいたのが、お目にかかった最初です。監督は浪人中でした。『せんだみつおです』『テレビで見てますよ。せんださんはゴルフやるんですか』」2025.7.9


残心の人

「私は一度だけ長嶋さんと雑誌の対談をしたことがある。私は最初から野球に関しての話題が中心になるだろうと予想し、それなりの準備をして対談の席にのぞんだ。しかし、意外にも、と言うのは失礼だが、長嶋さんは自分のほうから本について語りだしたのである」2025.7.9

文藝春秋

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凄まじい怒り