宮城谷さんの仕事場で質問したこと
本書『歴史の活力』からは、僕が魅了された宮城谷文学の創作の源泉を知ることができます。
古今東西の文献から渉猟された中国の偉人、日本の戦国武将、経済人、財界人、市井の人たちの思想、名言、箴言、挿話。これらを駆使して、さまざまな視点から僕らの前に提示されるのは、われわれはいかに生きるべきか、というテーマです。知識は誰からも盗られることはありません。ただ、それをいかに生きるための知恵に変えていくか。
これだけの知識を、宮城谷さんは、どうやって身につけたのだろう。ここまで自在に、縦横無尽に使えるようになるまで、どれだけの積み重ねの日々があったのだろう――。
二十年前、かねての念願が叶って、宮城谷さんのお宅、仕事場をお訪ねしたときに、最初に僕が話題にしたのは、中国最古の夏王朝を扱った初期の長編『天空の舟』のことでした。
「知る者は言わず、言う者は知らず」。本書にも引かれている、僕も大好きな老子の言葉があります。この小説を世に問うまで、世に知られることのない雌伏の時をいかに乗り越えられたか、とお伺いすると、「自分の小説を書く、人間を知るために、私は中国史を勉強したのです。長い時間を費やしました」と宮城谷さんはおっしゃいました。そして、中国の古典を勉強することで、日本があらたに見えてきた、と。
僕がいざ独立して事務所を経営すると、それまで憧れてきた宮本武蔵の「侍スピリッツ」だけでは通用しない世界がありました。そうなると、剣豪が剣を置いた時に、いかに人生と闘って何をしていたかが気になりだした。そういえば、戦国武将たちは苦境に陥った時、必ず中国の故事を持ち出して考えていなかったか。どうやら日本文化の根底を考えていくと、中国古典の教養を抜きに語れないのではないか。そうして、宮城谷さんの中国に辿り着きました。紀元前一六〇〇年頃の夏王朝の世界に、僕は「日本」を見ていたのです。
中国の故事を現実の現場で活用してきた経済人
二〇〇九年、僕は大河ドラマ「天地人」で、織田信長を演じることになりました。ところが、調べていくと、どうも信長はうつけでも傍若無人でもないし、残忍という一語では片づけられない。
そこで、宮城谷さんに教えを請いました。
――信長が印章に使っていた「天下布武」という言葉は、「天下を武力で治める」という意味でとらえられることが多いのですが、実際は、武という文字は「戈」と「止」という字が合わさって成り立っていて、本来は「争いを止める」という意味があるのです。ですから、信長には平和な世の中を築くという理想が、戈をおさめる、すなわち武を止める、平和にするという意図があったのではないでしょうか――。
一言一句をおろそかにしない宮城谷さんの助言から、一つの言葉を通して見えてくる新たな世界がひらけてきました。
『歴史の活力』は、『天空の舟』発表後、まもなく執筆されています。本書に、中国の故事を現実の場で活用してきた経済人が多く取り上げられていることには、宮城谷さんの明確な問題意識が感じられます。
「企業がもたねばならぬ社会的責任がなおざりにされている現状から、その根底にある教育の荒廃は、推して知るべきであろう。教育とは、なにをおしえるよりも、まず人としての社会的責任をおしえるものだからである。
たとえばいまの世ほど、経済ということばが『経世済民』(世を経め、民を済う)の短縮形であることを、忘れられているときはない」(12 哲理篇)
歴史を過去のものとせず、未来への力に変換すること。本書で、宮城谷さんが、われわれに継承しようとされているのは、このことではないか、と僕は思います。
