たえは後年、母親に「どうしてあの時助けてくれなかったの」と問い詰めている。たえ自身が母になろうとしているタイミングのことで、普通は娘のために体当たりしてでも、もっと言えば殺してでも助けるべきではないかという思いが高じたためだ。

 母親は「怖かったから」と答えた。母親も壮絶なDVを受けていた。たえが言う。

「正直に言えば、母親もかわいそうな人ではありました。中絶は11回していますし、暴行を受けて血まみれで救急車で運ばれたことも何回かあります。顔にはいまだに傷跡が残っていますが、その傷を負った日には縫ってすぐに仕事へ行かされたそうです」

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 母親にも被害者の側面があるとはいえ、たえや和寛が「大人は助けてくれない」と絶望した最大の理由は、最も身近な大人である母親が助けてくれなかったことだった。

弟も性虐待を受けていた

 和寛もまた、性虐待を受けていた。

 たえがそれを知ることとなったのは、和寛が小学6年生の時だった。

 「最初に私が目にしたのは、口腔性交でした。和寛が裸で後ろ手に縛られて、ああしろ、こうしろと命令されていました」

 たえがこたつで寝かされている横で、和寛が被害に遭うこともあった。裸の和寛がベルトで殴られながら口腔性交をさせられ、その後、肛門性交をされた。その様子がこたつの掛け布団をめくった光で照らし出され、たえの脳裏に焼きつくこととなった。

 父親は姉弟の助け合いも妨げようとした。

 たえは裸で鴨居からぶら下げられ、ベルトや洗濯ホース、濡れタオルなどで殴られることがよくあった。父親はその一部始終を和寛に見せ、時には「お前も殴れ」と命じた。命令に従わなければ、和寛も殴られる。和寛は力を抜いて命令に従ったふりをしたが、「それじゃだめだ」とやり直させられた。

 たえはアイコンタクトで、「本気でやらないと和寛がやられるから仕方ないよ」と気持ちを伝えようとした。しかし、返ってくるのは悲しくなるような目だった。

「『おれ、やりたくないよ』という目でした。あの目が忘れられなくて……。和寛も殴るのが本当に辛かったのだと思います。お互い、その痛さを嫌というほど知っているので」

 今、たえが和寛の顔を思い出そうとしても、笑顔は浮かばず、「あの目」ばかりが蘇るという。

塚原たえさん近影

「和寛が性虐待に遭っている時も、横目でちらっと私を見てくるんです。その目には、苦しいとか辛いという感情はないんです。感情以前の、無なんです。あれはもう人の目じゃない。私たちはお互い、無の目でアイコンタクトをするようになっていきました。そういうことの積み重ねが、あの子を殺したのだと思っています」

 ただ、和寛は最初から死を望んでいたわけではない。むしろ、生きるためにもがいた。

(第6章「弟は父の性虐待で死んだ」より)

秋山千佳(あきやま・ちか)

1980年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、朝日新聞社に記者として入社。大阪社会部、東京社会部などを経て、2013年に退社し、フリーのジャーナリストに。著書に『東大女子という生き方』(文春新書)、『実像 広島の「ばっちゃん」中本忠子の真実』(KADOKAWA)、『ルポ 保健室 子どもの貧困・虐待・性のリアル』(朝日新書)、『戸籍のない日本人』(双葉新書)。

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