読者を「説得」するのをやめた

――以前、生前の河野多恵子さんに「作家は四十代が勝負よ」と言われたというお話をうかがいましたが、五十代になって、どう感じています?

吉田 河野さんにそう言われたのは、僕が四十代になりたての頃だったんですよね。谷崎潤一郎をはじめとした大作家たちは、代表作を四十代で書いているということだったので、僕も頑張ろうと思ったんです。でも最近、川端康成の作品を読んでいて「これ何歳くらいで書いたんだろう」と確認してみると、六十代だったりするんです。河野さんがおっしゃったのは、四十代で体力をつけておかないと後で続かないよ、という意味合いだったのかなと今では思っています。

――体力つきました?

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吉田 どうですかね。変な言い方ですが、手を抜けるようになりました。以前は「すべてを伝えたい」と力んでいたから、受け取るほうもお腹いっぱいになってしまっていたかもしれません。でも肩の力を抜いて書けるようになってきて、ようやく、『ミス・サンシャイン』に辿り着けた気がしています。これってガチガチに書くこともできる題材じゃないですか。でも敢えてそうしなかったことが、自分にとっての成長かもしれない。

――肩の力を抜くって、もう少し具体的にいうと、どんな感じでしょうか。

吉田 文章で「説得」しようとしない、ということかな。伝えることを諦めるわけじゃないけれど、結局何が伝わるかは決められないというか。実生活においても、いくら言ってもわかってもらえないことはあるじゃないですか。そのへんの力加減ができるようになったように思います。

 昔はもっと過剰に期待していたんでしょうね。こっちが100書いたんだから読み手にも100応えてほしい、みたいな気持ちがあった。でも今は、50しか書いていないのに60とか70返ってくるから、逆にそれが嬉しい驚きです。

 

――吉田さんは以前から、説明しすぎずに、でも伝わるように書かれている印象がありますよね。

吉田 『文學界』でデビューした頃、当時の編集長の庄野音比古さんが毎回原稿を読んでくれたんです。庄野さんは、僕が「ここを書きたい」と思って力を入れて書いた部分を全部、「削除しましょう」と提案するんですよ(笑)。「大事なところは、直接的でない表現で書かなきゃ」と言うんです。「読者をそういう気持ちにさせるエピソードを一個考えなさい」って。

――たとえば『ミス・サンシャイン』でいうと、一心君と桃ちゃんについて、飲み水の好みが合わないという描写があって。この二人の行く末は大丈夫かなと読者に思わせますよね。

吉田 昔だったらそこで「映画の好みが合っていても、根本的な部分が合わない男女は上手くいかないものだ」なんて、そのまま書いちゃっていたんですよ。でも、毎日の基本である水の好みが違うという、決定的なエピソードの方が伝わりやすいかもしれないですよね。

 デビューしてから、そうした訓練を5年受けました。文春の執筆室に通って、毎日朝方までずっと原稿を直していたんですよ。今はそういうのがあまりないって聞くから、最近の新人はかわいそうだなと思いますね。

――訓練しているうちに、自分で判断がつくようになったわけですか。

吉田 最初のうちは削る勇気がないんです。自信がないから削れない。それでも編集者に、ちゃんと伝わっているかと確認しながら、少しずつ自信をつけていったのだと思います。

 デビュー作の「最後の息子」は、センスだけでたまたま余分なものがそぎ落とされていたんです。その後のいくつかの短篇については、「削れ、削れ」と言われました。やがて僕は『パーク・ライフ』という作品で芥川賞をもらうんですが、あれって何も書いていないも同然でしょう(笑)。あの作品を完成させられたこと、評価されたことはものすごく大きな自信になっていますね。自分の言いたいことをみっちりと書きこんだ作品で賞を獲っていたら、後々困っていた気がします。そうしないと評価されないと思いこんでしまっていたでしょうから。

 その後実際にソリッドな作品を発表した際も、「あ、伝わっている」と思う感想をいただくことが増えて。それが積み重なっていくと、自然と読み手に委ねられることが増えていきました。今ではもう、何も書かなくても伝わるんじゃないかなって思うくらい(笑)。ただ、当然読者にはいろいろなタイプの人がいるので、全員に伝わっているとは思わないですけれど。