作中作には、観てきた映画が詰まっている

――鈴さんは戦後の1949年にデビューし、ハリウッドでも評価された銀幕スター。ドラマや舞台でも長年にわたり第一線で活躍した、まさに酸いも甘いも嚙み分けている女優です。

吉田 鈴さんは女優一本で生きる人というイメージでした。京マチ子さんとか、その時代時代で輝いていたスターをイメージしながら、女優像を作り上げていきました。

――鈴さん=和楽京子の女優史のパートでは、実在する俳優たちに交じって、架空の監督や作品もたくさん出てきます。それがどれもいかにも本当にありそうなのが可笑しくて。作品の内容や周囲の評価なども詳細に設定されていますよね。

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吉田 彼女の出演作を考えていくのは本当に楽しかったです。

――和楽京子は1949年、成田三善監督の『梅とおんな』で、主人公である僧侶の妹という脇役でデビューする。その後、文豪・谷本荒次郎の小説が原作の『洲崎の闘牛』という、赤線地帯に生きる女をたくましく演じて話題となって……。

吉田 それぞれの作品に直接のモデルがあるわけではないのですが、僕が今まで観てきた映画のエッセンスを詰め込みました。書いているうちに、あまりにそれらの映画が現実のもののように思えてきて、すごく馬鹿な話なんですけれど、連載中に『洲崎の闘牛』のラストの台詞を確認しようとして、無意識のうちにNetflixで検索していたんです(笑)。タイトルを入力しながら「あ、僕が作った映画だった」と気づいて。それくらい、本作で描いた世界は、僕にとってリアリティのあるものだったんです。

 

――ハリウッドに渡ってからの和楽京子は、「ミス・サンシャイン」と呼ばれて人気を博します。アカデミー賞主演女優賞にもノミネートされるってすごくないですか。しかも一緒にノミネートされたのがキャサリン・ヘプバーンやイングリッド・バーグマンだという。

吉田 当時の日本とアメリカの歪んだ関係を書かなければならないと思ったので、鈴さんにはハリウッドに行ってもらいました。過去には鈴さんとほぼ同じ世代の、ナンシー梅木さんがアカデミー賞助演女優賞を獲っているので、まったくありえない話でもないですし。

 コロナ禍の前に、ロサンゼルスにも取材に行きました。ハリウッドのスタジオや、ハリウッド女優さんが住んでいる家を見せていただいたりして。ナンシー梅木さんのお知り合いに話をうかがえたのもありがたかったです。

 そのほかにも、和楽京子を書くために、いろいろな女優さんの作品を観たり調べたりしましたが、やはり吉永小百合さんの存在は大きかったです。吉永さんは僕が中学生の頃、『夢千代日記』というドラマで、原爆症で亡くなる芸者さんを演じられていたんです。ドラマで原爆のリアルな実態を見て、改めてぞわーっとした記憶があります。吉永さんはその後も被爆者の詩を朗読されていたりして、そういう方から、今回、本の帯にコメントをいただけたのは本当に嬉しかったですね。コメントの中で、鈴さんの「彼女は亡くなり、私は生きた」という台詞を引用してくださったのもありがたくて。そのままモデルにしたわけではないですけれど、鈴さんの大女優としての活躍を書いていた時は、吉永さんの立ち居振る舞いを頭の片隅に置いていましたし。