仕事を辞め上京して、生活ができるのだろうか。その不安が大きい。もう少しお金を貯めてから、もう少し絵の技術を身につけてから。と、慎重になってしまう。また、いまの恵まれた状況も決断を鈍らせる。新聞社の社員でいれば安定した収入があるし、地元の優良企業なだけに世間体もいい。その立場を捨てるのは惜しい。この居心地の良い場所からまだ動きたくなかった。
冬の寒い夜にコタツでうたた寝して目が覚めた時、冷たい布団に入るのが億劫で動けない。そのまま温かいコタツでグダクダしながら二度寝してしまう。起きなくちゃいけないと思ってはいるのだが……。当時のやなせの心境も、こんな感じか。
高知県をマグニチュード8の大地震が襲う
「私、先に行って待っているからね」
暢はそう言って、汽車に乗り高知を去ってゆく。ひとりホームに取り残されて、自分も早く動きださなければいけない。彼女を追いかけて東京に行かなくちゃいけないと焦る。出会いの多い都会で、暢がいつまでも自分を待っていてくれるという保証はない。機を逸すれば愛も夢も失ってしまう。
分かってはいるのだが、居心地の良い場所から離れられない。
「誰かぼくの背中を強く押してくれないかなぁ」
とか、他力本願なことを考えながらダラダラと過ごしていた。気がつけば年の暮れが近づいている。そんな時だった。
昭和21年(1946)12月21日午前4時19分、爆弾が破裂するような音と激しい揺れで目が覚める。潮岬(しおのみさき)南方沖を震源とするマグニチュード8.0の大地震が発生し、高知県内各所で震度5〜6の強い揺れが観測された。
非常事態で記者に向いていないと思い…
自宅の周辺でも、家屋の倒壊を恐れた人々が外に飛びだし大騒ぎになっていたのだが、やなせはまた布団に入って寝てしまう。大きな揺れは収まり住まいは無事だった。だから「もう心配ないだろう」と、周囲の騒ぎに我関せず。新聞記者ならば、こんな時は真っ先に外に出て状況を確認するものだが、そんな瞬発力はない。