「僕はモンスター」不登校に悩んだ両親の選択
ヒィロ 誰とも喋らずに自室に引きこもっていました。勉強は全くやらなくなり、髪の毛をつかんでは引き抜いていましたね。長い間お風呂にも入らなかったので、体中が痒かったです。ひたすらゲームをやったり、夜通しネット掲示板に書き込んだりしていました。「この世からいなくなりたい」と思ったけど、実行する勇気はありませんでした。
僕という“モンスター”が家にいることで、家庭内に大きな負荷をかかっていたと思います。進学校に通っていた兄も荒れるようになり、一時は家の中がカオスでした。「親父は何のために頑張って、俺達を養っているんだろう」と子供ながらに気の毒になりました。
――学校に行かせることを諦めてからは、ご両親の対応はどう変化したのでしょうか。
ヒィロ 両親はすごく優しくなりました。母は不登校の子供を持つ保護者が集まる会合に参加したり、不登校に関するフリーペーパーを作る活動を始めました。僕が望めば、ゲームや漫画なども買ってくれましたね。壊れてしまった息子を、回復させようとしてくれたんだと思います。
勉強が遅れるのを心配して、小6の終わり頃に家庭教師を付けてくれました。以前から家族ぐるみでお付き合いのあった仲の良いお兄さんだったので、心を許して話をすることができました。段々と僕も落ち着いて、両親と一緒に食事ができるようになりました。
不登校から4年で抜け出せたワケは…
――不登校は中3までだったそうですが、何か心境の変化があったのでしょうか。
ヒィロ 親が理解を示してくれるようになると、4年間もぬくぬくと引きこもっていることに罪悪感を抱くようになったんです。
そんなとき、深夜番組でビジュアル系バンドの「Janne Da Arc(ジャンヌダルク)」に出会いました。ただかっこいいだけではなく、闇を感じる世界観に魅了されました。その瞬間から、「ビジュアル系バンドマンになりたい」ということだけを考えるようになり、「バンドを組むためには高校に行かないといけない」という理由で、親に「高校受験をしたい」と伝えました。
――4年間の不登校を経て、高校受験をするのは大変だったのでは?
ヒィロ 学力が身についていなかったので、作文だけで合格できる高校を選びました。また、誰も僕のことを知らない環境でやり直したいと思い、自宅のある千葉県から遠い、東京都荒川区の高校に進学することを、親に懇願しました。
同時に、食事の改善やウォーキングを開始しました。成長期だったこともあり、1年ほどかけて70kgから55kgまで体重を落とすことができました。
晴れて高校生になることはできましたが、4年ぶりの社会復帰は予想以上に苦しかったです。電車に乗るだけで吐き気が襲い、エチケット袋を握り締めて通学する日々が始まりました。
その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。

