突きもせぬ眼に貰い乳の膝枕

なんて川柳もある。目に入ったゴミを流すために、赤の他人の男の目に平気で乳を注いだりしていたのだ。

現代人には理解しがたいだろうが、当時の人たちにとって、女性の乳房は子育ての道具であり、性的な魅力に乏しい存在だったようだ。

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喜多川歌麿と他の絵師の違い

師宣、北斎ら、江戸時代を代表する絵師たちが、こぞって春画に力を注いだ。彼らが春画を描いたのは、“性”というテーマに創作意欲をかきたてられたという理由のほかに、食い扶持を稼ぐためという目的もあった。江戸時代も、芸術作品を描くよりは、“エロ”に走ったほうが手っ取り早くお金を稼げたのである。

ただ、絵師のなかには、本気で春画に打ちこみ、真に迫る春画を描いた者もいた。浮世絵美人画の頂点をきわめた天才絵師、喜多川歌麿である。

歌麿は生涯に数多くの春画を残しているが、彼が熱心に春画を描いた背景には、生い立ちからくるマザーコンプレックスが関係したのではないか、と分析する専門家もいる。

歌麿の生涯には不明な点が少なくないが、母のいない父子家庭に育ったことはわかっている。むろん、母親不在の家庭で育ったからといって、マザコンになるとは限らないが、歌麿の作品には、母親への思慕を思わせる作品が数多く残されているのだ。

そのひとつが、母の象徴ともいえる「乳房」への執着である。江戸時代の春画には、乳房にスポットを当てた作品はほとんど見当たらないが、歌麿の絵にかぎっては、豊満な乳房を持った女性が多数登場する。

当時としては異例中の異例

また、美人画では、赤ん坊が乳を吸う場面が数多く描かれ、春画では胸がよく見える女性上位の図が多い。歌麿の乳房へのこだわりは、当時としては異例中の異例である。

とはいえ、歌麿の作品のなかには、マザコンとはまるで結びつかないようなものもある。たとえば『山姥と金太郎』という絵は、豊満な母親の乳房に子どもが吸いついている図なのだが、そもそも“金太郎”の目つきが子どもらしくない。