おまけに、この金太郎、空いたほうのオッパイの乳首を指でつまんでいる。その様子はセックスの前戯のようにも見え、ともかく母親に甘えて無邪気に乳を吸う子どもとは、とうてい思えない顔つきであり、姿なのである。
ただ、歌麿の真意は、本人が制作意図を書き残しているわけではないので、推測の域を出ない。
江戸時代の美人の条件
男性が美人に憧れる心理は、どの時代も共通するが、「美人の基準」は時代によって異なるもの。江戸時代には、どんな女性が美人とされていたのだろうか?
それを知るには、江戸の「美人画」を見るのが手っ取り早い。美人画は、当時のアイドルスターのブロマイドのようなものだったからだ。
たとえば、喜多川歌麿は、水茶屋の難波屋おきた、煎餅を扱う店の高島おひさ、売れっ子芸者の富本豊雛ら、「寛政の三美人」と呼ばれる女性を描いているが、女性たちの顔は、まったく同じで見分けがつかない。
裏を返せば、それがその時代の“共通的な美人顔”といえるわけで、共通点は色白、切れ長の目、おちょぼ口、長い襟足など。それらが、美人の条件だったわけである。
では、小説の世界はどうだろうか。元禄時代に活躍した井原西鶴は、当時の美人像を明確に描写している。
たとえば『好色一代女』では、「当世顔はすこし丸く、色は薄花桜にして、表道具の四つふそくなくそろえて、目は細きを好まず、眉あつく……」などと細かく書きつらねているので、コンパクトに現代語訳してみよう。
人気だったのは小柄か長身か
いわく、「丸顔で、顔は桜色。目は大きく、眉はあつく、歯は白く、手指はほっそりして、腰は締まって、お尻はゆったりしている」女性が美人だという。西鶴は、小柄な女性が好みだったようで、登場人物を小柄の美人に設定することが多かった。
ところが、西鶴と同年に出版された本には、それとはまったく異なる女性を美人だとしている。
『好色訓蒙図彙』(無色軒三白居士著)では、「第一顔うりざねにして面長に、鼻筋とおり……」と、これまた細々書いてあるのだが、こちらのほうは、面長のうりざね顔で、歯並びがよくて、背がスラリと高いのが美人だという。
丸顔とうりざね顔、背の高いのと小さいの、いったいどっちなのだといいたいところだが、現代でも、さまざまな美人のパターンがあるわけで、江戸の男性の好みにもいくつかのパターンがあったということだろう。
歴史の中に埋もれている“ドラマチックな歴史”を楽しむべく結成された、夢とロマンを求める仲間たちの集まり。学校では教わらない史実の裏側にスポットを当て、一風変わった視点からのアプローチには定評がある。
