情報があまりに複雑であると、現行の社会システムでは処理し切れなくなります。それゆえ、さまざまな人種・ジェンダー・宗教のるつぼたるアメリカという国を前進させるには選択肢を削りに削って、二択にまで絞るしかなかったのではないか? かたや日本では、アメリカほど考え方が多様ではないとされているために、政治的な選択肢が複数あっても社会の処理能力が追いついている可能性があるのではないか?

 だとするならば、社会の側の情報の処理能力を増やせれば、多元的な政治的選択肢がある状態へ移行できる可能性があるわけです。

安野貴博氏 撮影・杉山拓也(文藝春秋) 

 多数の選択肢のなかから効果的な意思決定をするのかという問題に対して、日本が先駆的なモデルを示すことができるかもしれません。

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 マイノリティの意見もつぶされにくく、さらに多くの人に納得感のある意思決定のモデルを開発するのです。これが日本が為すべき民主主義のイノベーションだと私は考えています。

「白か黒か」ではなくカラーを

 そもそもの話、人間社会において、絶対的な正解があるはずもないのです。それを認識したうえで、それでも「ギリギリこっちじゃない?」という意思決定を積み重ねるしかない。自分が100%明確に理解できていると思い込んだり、自分の意見に完全に確信をもっている状態のほうがおかしく、警戒すべきことだと私は思うのです。

 そんな前提から出発すると、多元的な社会における意思決定は、「白か黒か」であってはならないことが見えてきます。

 イシューに対して白か黒か以外に、青も赤も黄色もある――それぞれの価値観をもっている参加者が、熟議を通じてあらゆるカラフルなオプションを生み出していくことが重要です。

 AとBの中間にCやDという答えがあるかもしれないし、まったく位相の違うXという選択肢が浮上するかもしれません。互いに合意形成しやすい別のオプションや選択肢を生成する能力を高める必要があるのです。

演説中の安野貴博さん

 具体的には、各分野のエキスパートがもつ知恵があると、それまで気付かなかった選択肢が見えやすくなります。どんなイシューに関しても専門家の意見、そこで蓄積された知見には耳を傾けるべきでしょう。

 また、交渉することで新しいオプションも生まれやすくなります。これはビジネスシーンではよくある話ですが、欲しいものが異なる2社間で互いのニーズの違いを踏まえてWin-Win の状況をつくり出す交渉をするものです。

 この手の交渉は政党間でももっと行われるべきだと思いますし、さらにいえば政党の枠も超えて、100人の議員がいたらそれぞれが100通りの交渉を行うようなダイナミズムがあってもいい。