船場𠮷兆の食品偽装疑惑を巡る会見で、長男に小声で回答を指示したことで“ささやき女将”と呼ばれた湯木佐知子(1937〜)。次男で「日本料理 湯木」店主の湯木尚二氏が母の仕事ぶりを語る。
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サービスを形にできる才能
私が物心ついた頃から、母は商売第一でした。「𠮷兆」創業者の祖父・湯木貞一の三女として生まれ、24歳の若さで女将となりました。婿養子となった料理人の父・正徳とともに祖父から船場𠮷兆を託されたことで、より商売に精進していきます。そのため私は、母との幼少期の思い出がほとんどありません。
小学1年生まで私と7歳上の兄・喜久郎の面倒を見てくれていたのは70代の家政婦さんです。そうした家庭事情のため、私は「おふくろの味」を知りません。朝食は板前さんが用意してくれた松花堂弁当をレンジで温めて食べる――それが当たり前でした。母も料理をする必要がない環境で育ってきたこともあったのでしょうが、学生時代に料理教室に通うなど興味はあったと思います。
接客をしていない間も帳簿と格闘するほど「仕事が趣味」だった母の、女将としての仕事ぶりに触れたのは、高校生になってから。船場𠮷兆でアルバイトするようになった私は、お客様をお出迎えし、お見送りをする玄関番を任されました。そこで見た、着物を着た女将の母が深々と頭を垂れる姿。祖父が「出迎え三歩、見送り七歩」と接客の重要性を説いていましたが、お客様から「また店に来たい」と思っていただける振舞いを母は心がけていました。
話術にも長けていたうえ「今日はどんなおもてなしがいいか」と、サービスを形にできる才能がありました。お客様が単身赴任中だとわかれば、「夜食用に」とさりげなくおにぎりを渡す。ごひいきのお客様の誕生日が近いとなれば、「ご家族で召し上がってください」とお料理を届ける。母のそのようなきめ細かな仕事ぶりを知ると、子どもの私や兄とふれあいの時間を持つ余裕がなかったのも頷けます。
女将をはじめ店がお客様に寄り添えていると思っていただけに、2007年に世間をお騒がせした一連の問題は大きな教訓となりました。
賞味期限切れ商品の販売。食材の産地を偽って表示し、手つかずのお料理を再使用してしまった……。お客様には大変なご迷惑をおかけしましたが、これらはすべて、我々経営陣の甘さが招いたことです。事業拡大に伴い、従業員に任せっきりで、ひとつひとつの現場に目が行き届かなくなっていました。同族経営だったことで、チェック体制が雑になってしまっていた面も否めません。原因はそこに尽きると思っています。
同年12月の記者会見は、農林水産省近畿農政局に改善報告書を提出したこともあり、母たちからすれば前向きなものとなるはずでした。
会見前日に担当弁護士と想定問答のシミュレーションをし、母はしっかり予習していました。
《この続きでは、“ささやき”会見の真相と、湯木佐知子氏の近況が語られています》
※本記事の全文(約1800字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(湯木佐知子 今はもう、“ささやき”ができませんねん)。
出典元
【文藝春秋 目次】永久保存版 戦後80周年記念大特集 戦後80年の偉大なる変人才人/総力取材 長嶋茂雄33人の証言 原辰徳、森祇晶、青山祐子ほか
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