どこを向いて何を書くか──2人の農業記者は自由な狩場を求めた。ノンフィクション作家・清武英利氏の連載「記者は天国に行けない 第15回」(「文藝春秋」2023年4月号)を一部転載します。
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「JAは本当に農家の味方なのか」
東京・秋葉原に本社を置く「日本農業新聞」は、日本唯一の日刊農業専門紙で、JA(農協)グループの機関紙として30万部近い部数を誇っている。
通称「日農(にちのう)」。専門紙といっても、従業員225人を擁し、内閣記者会や農林水産省の農政クラブなど33の記者クラブに記者を送り込む有力紙である。特に農水省では、記者の数でも情報量でも他紙を圧倒する存在だ。
あるとき、農政クラブで「次の首脳人事では無駄な競争を避け、不戦協定を結ぼうではないか」と一般紙記者から談合を求められたことがある。だが、日農の記者は大臣に助言するところまで食い込んでいたので、迎合することなく、いつものように次期事務次官人事の特ダネを書いたという。
その日農の中堅記者が10年ほど前、相次いで会社を辞めた。
それが1980年生まれの千本木啓文(ひろぶみ)であり、2つ年上の窪田新之助だった。いずれも2004年春に日本農業新聞に入社した同期である。
退職後、千本木は経済誌「週刊ダイヤモンド」の記者に就き、窪田は農業ジャーナリストに転身して、それぞれ別の道を歩いているが、日農を飛び出した同期入社組というだけでなく、共通していたことが二人にはある。
彼らは、一般紙やジャーナリストが取り上げなかった農業をめぐる疑惑や腐敗を追及し続けているのである。その結晶が、ダイヤモンド・オンラインの連載をまとめた千本木の『農協のフィクサー』(2月刊行、講談社)であり、窪田の『農協の闇(くらやみ)』(昨年刊行、講談社現代新書)だろう。
それらはただ、日本農業の聖域に迫ったというだけではない。JAグループの中には優れた組織もあるのだが、一部の実力者たちを批判した二人の文章は痛烈で、描かれたタブーと腐敗の深刻さに、私はぶん殴られたような思いがした。
私の父方は下級武士から農業に転じ、母方は稲作農家だった。私自身も新聞記者の駆け出し時代を農業県である青森で過ごしたので、人よりは農家と故郷の営みには思い入れが強い。だから、千本木の『農協のフィクサー』を開き、冒頭で次のような文章に出会うと、驚きのあまり絶句するしかない。
〈京都の農協(農業協同組合)のトップに二七年以上にわたって君臨する中川泰宏は「ラジオ番組の主役」「小泉チルドレン」――として、京都府で高い知名度を誇る。彼を改革者と見る府民も少なくない。だが、中川には知られざる一面がある。農協の「労働組合潰し」や悪質な「地上げ」などに手を染めているのだ〉
一方、窪田の『農協の闇』は、「JAは本当に農家の味方なのか」と疑問を投げかけ、前書きから告発の文字を連ねる。
〈JAは、自らの職員に過大な販売ノルマを課し、これを達成するため自分だけでなく、加入してもらった他人の掛け金まで負担する「自爆」と呼ぶ営業を強いている。(中略)
農家や組合員への裏切りが常態化しているだけでなく、そうした行為を黙認して、あまつさえ圧力をかけるような人物がグループのトップに居座り続けるJAとは、いかなる組織なのか〉
かつて権力者を批判する際には、「造反有理(反抗するのは、それなりの理由がある)」という言葉が使われたものだが、彼らはなぜここまで辛辣なのか。今回は二人の造反と有理に目を凝らしてみよう。