「私は中学時代に私に服従を強い、私を虐待し、私を虫けらのように扱った愚者共が許せない。私は奴等をこの世から消滅させ、そして私も消滅する」

 標的は同窓会に参加するクラスメイトすべてーー平成3年にくわだてられた「同級生大量殺人事件」。なぜ犯人は50人近い人間を殺害しようと思ったのか? その背景にある「中学時代のいじめの記憶」とは? 我が子を無惨に殺された親、学生時代ひどいイジメに遭った者などが仕返しを果たした国内外の事件を取り上げた新刊『世界で起きた戦慄の復讐劇35』(鉄人社)のダイジェスト版をお届けする。

写真はイメージ ©getty

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「いじめられるのは、おまえにも問題があるからじゃないか」

 1991年1月2日、佐賀県の旅館で開かれようとしていた中学校の同窓会。幹事を務めていた赤沢俊一(仮名・当時27歳)は「仕事の都合」で欠席すると連絡していた。だが、翌日の朝刊に踊った「同窓会大量殺人計画」「ヒ素入りビールと爆弾」の文字に、参加者たちは愕然とした。実はこの同窓会、幹事の赤沢が参加者を皆殺しにするために計画したものだったのだ。

 赤沢は1964年、中学校英語教師の父親と音楽・養護教諭の母のもと佐賀県で生まれた。幼い頃から成績優秀だったが、周囲との関係は円滑ではなかった。特に中学時代に受けたいじめは壮絶だった。自転車を壊される、掃除用具のロッカーに閉じ込められる、女子生徒の前で下着ごとズボンを脱がされる、プロレスごっこと称して頭を椅子で打ちつけられ何針も縫う重傷を負うなど、赤沢にとっては「地獄の日々」だった。

 耐えきれなくなった赤沢は父親に助けを求めたが、返ってきたのは「いじめられるのは、おまえにも問題があるからじゃないか」という冷淡な言葉だった。実は父親は赤沢が通う中学の教師で、息子の問題を校内の大事にしたくなかったのだ。親にも見捨てられた絶望感は、いつしか「将来必ず自分をいじめた人間に仕返しをする」という強い憎しみに変わっていった。

B型肝炎を発症→「同級生のみな殺し」を決意

 高校、大学と進んだ赤沢は、卒業後に上京。埼玉県のアパートを拠点に、化学薬品を扱う会社を転々とした。全ては復讐のためだった。「化学物質を使えば人を殺すことが可能」と考え、薬品を入手しやすくするため危険物取扱者甲種免許まで取得したのだ。

 23歳の時、B型肝炎を患った赤沢は、数年前に同じ病気で亡くなった父親のことを思い、「どうせ長く生きられないなら悔いのない人生を送ろう」と誓う。彼にとってそれは、中学時代の同級生を皆殺しにすることだった。

 1989年8月、赤沢は同窓会名簿を頼りに元クラスメイト全員と恩師5人に葉書を送る。同窓会開催の希望を伝える内容だったが、真の目的はヒ素入りビールで全員を毒殺し、会場を時限爆弾で爆破することにあった。彼の恐ろしい意図を知るよしもない同級生たちは、赤沢からの案内に喜んで返信した。

 返信のない相手には催促の電話をかけるほど熱心だった赤沢の行動に、周囲は「彼の熱意」と感じるばかりだった。最終的に開催時期は1991年1月2日、会場は飲食物持ち込み自由な上峰町の旅館に決定。彼の計画は着々と進んでいった。

 開催日が近づいた1990年11月、赤沢は勤めていた会社を辞め、海外からビール21本を取り寄せる。慎重に蓋を開け、1本1本に粉状のヒ素を混入し、元に戻した。さらに改造銃や時限爆弾まで用意。ビールを飲まない者がいても、会場爆破と銃撃で確実に殺害する計画だった。

 準備を整えた12月28日、赤沢はヒ素入りビール21本、時限爆弾3つ、改造銃をワゴン車に積み込み、佐賀の実家に帰省。31日の夕方には旅館にビールを運び込んだ。しかし、息子の様子に違和感を覚えた母親が部屋を探ると、1冊の手帳を発見。そこには「私は中学時代に私に服従を強い、私を虐待し、私を虫けらのように扱った愚者共が許せない。私は奴等をこの世から消滅させ、そして私も消滅する」と、犯行後の自殺まで計画した詳細な復讐計画が記されていた。

 恐怖を覚えた母親は1月1日、警察に全てを相談。警察は旅館に運び込まれたビールを調査し、致死量のヒ素を検出。翌2日朝、赤沢を拘束した。赤沢は素直に自供し、車に積んだ時限爆弾の存在も明かした。警察が処理しようとした際、1つが暴発し警官3人が負傷している。

 同窓会参加者は、主催者の赤沢に命を狙われていたという事実に青ざめた。いじめの加害者は忘れても、被害者は一生忘れないという典型的な事例だった。

 赤沢はその後、殺人予備罪・爆発物取締罰則違反の容疑で逮捕され、1991年1月23日、佐賀地裁から懲役6年の判決を受けた。その後の人生は明らかになっていない。

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