成田 横尾さんが画家に転身された時期に私も近づいているので。

 横尾 長い人生か短い人生の中には、とんでもないこと、何の力か分からないけど自分の意思を無視したものがその人を略奪するみたいなことがあるんです。別のところへ連れていかれて、そこへボーンと置かれた感じ。言葉にすれば、「デザインは終わった!」という強烈な。音にすれば雷みたいな音が「デザインは終わった!」と来た。

 成田 美術UFOに誘拐されて、宇宙人に洗脳されて帰ってきたみたいな(笑)。

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 横尾 まだそっちのほうがいいかも分からないけどね。

 成田 それはピカソ展を見てる最中だったんですよね。

成田悠輔さん ©文藝春秋

 横尾 ピカソでなくてもよかったんです。モディリアーニだってよかったかも分からないし。

 成田 でも勝手に第三者的に浅い分析をさせていただくと、ピカソというのが暗示的ですね。記録や写実のための絵画が写真と映画によって終わらされたあとに絵画を再生させた人がピカソじゃないですか。

「今度はAIがもう一度絵画の歴史を終わらせに…」

 成田 そしてその後も絵画というジャンルは順調に終わっていっているとも言えますよね。絵画の外側で作り出される視覚体験みたいなものが爆発しすぎていて。マンガもアニメも生まれれば、コンピューターグラフィックスもゲームもあり、今また仮想空間やAIが、と次々新種が生まれてます。

 横尾 そうですね。AIが何をやるか分からない。

横尾さんのアトリエに置かれていた絵筆 ©文藝春秋

 成田 今度はAIがもう一度絵画の歴史を終わらせにきているようにも見えます。写真をも飲み込むかもしれない。

 横尾 そうですね。

 成田 とすると、今世紀の写真と絵画はいったいどんな存在になっていくんだろうと気になるんです。

 横尾 写真が美術の世界に介入してきて、それなりのテリトリーを作りましたよね。じゃあグラフィックはどうだったかというと、写真のようにならなかった。やっぱりそこに線引きがあって、美術とグラフィックを分けて、ファインアートとコマーシャルアートと分けられてしまった。

(構成・伊藤秀倫)
この続きでは、横尾忠則さんの“AI観”がさらに詳しく語られています》

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