7月23日、24日に広島県を訪問した秋篠宮ご夫妻。同月11日には、次女の佳子さま、長男の悠仁さまとともに「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」を見学されたが、ご一家4人揃ってのお出ましは、これが令和初だった。
秋篠宮ご一家の平和への思いについて、秋篠宮さまの貴重な肉声をつづった『秋篠宮』(2022年/小学館)などの著書をもつ、ジャーナリストの江森敬治氏が寄稿した。(全2回の1回目/続きを読む)
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戦後80年の節目に過去を振り返って
「戦後80年の節目となる本年、被爆地広島を幹事県として、このたびの大会が行われ、ここに集う人々が、共に過去を振り返り、未来に向けて平和への思いを新たにする機会を得ることは、非常に意義深いことと思います」
7月24日、広島市で行われた全国高校総合体育大会の総合開会式に秋篠宮ご夫妻が出席され、秋篠宮さまはこのように述べた。ご夫妻は、前日の23日午後、平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑に供花し、拝礼した。また、広島平和記念資料館で高校生平和大使を務める被爆4世の甲斐なつきさんたちと懇談した。
昨年、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が、ノーベル平和賞を受賞したが、甲斐さんは、ノルウェーの首都オスロで行われた授賞式に出席し、現地で同世代の高校生と平和を考える授業も行っている。秋篠宮さまは、甲斐さんがノルウェーで原爆の悲惨さを訴えた経験などを説明した際、「最初はどういう反応がありましたか」と、質問されたという。
令和になって初めて4人での公務を
広島訪問の2週間ほど前の7月11日には、貴重な光景がみられた。秋篠宮ご夫妻と次女、佳子さま、長男の悠仁さまの4人で、東京都写真美術館で開かれた写真展「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」を見学されたのだ。ご一家4人揃っての公務は、令和になって初めてのことだった。
1945年8月6日、米軍B29爆撃機「エノラ・ゲイ」から、広島市に投下された原子爆弾で推計約14万人(同年12月末まで)が死亡したとされる。また、3日後の8月9日、長崎市に米軍B29爆撃機「ボックスカー」が原爆を投下、大勢の死傷者を出し、街は焦土となった。今年は、広島と長崎への原爆投下から80年の節目の年に当たる。




