7月23日、24日に広島県を訪問した秋篠宮ご夫妻。同月11日には、次女の佳子さま、長男の悠仁さまとともに「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」を見学されたが、ご一家4人揃ってのお出ましは、これが令和初だった。
秋篠宮ご一家の平和への思いについて、秋篠宮さまの貴重な肉声をつづった『秋篠宮』(2022年/小学館)などの著書をもつ、ジャーナリストの江森敬治氏が寄稿した。(全2回の2回目/はじめから読む)
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今から10年前、戦後70年に当たる2015年8月。宮内庁は、昭和天皇がラジオを通じて国民に終戦を伝えた「玉音放送」などの録音原盤と音声を初めて公開した。また、昭和天皇が終戦の「聖断」を下した皇居内の地下施設・御文庫附属庫の写真や映像も公開している。
「娘たちの世代というのは非常に戦争のことを知らない」
この年の11月、秋篠宮さまが50歳の誕生日を迎えるにあたっての記者会見が行われた。玉音放送の原盤を聴き、御文庫附属庫を視察した秋篠宮さまは、記者から戦争について改めて考えたことや戦争関連の企画展などに同行した佳子さまや悠仁さまがどう受け止めたのかなどと尋ねられ、次のように答えている。
「私自身は戦後20年たって生まれました。ですから、物心ついたころに、何かその痕跡みたいなものを感じるということはほとんどなかったわけです。戦争のことをきちんと理解するためには、当時のことを知っている人から話を聞いたり、書籍で読んだりとか、そういうことを自分で意識しながら行っていくことが大事なのではないか、と考えております」
「これは娘とも話したことがあるのですが、やはり娘たちの世代というのは、非常に戦争のことを知らない。そのことを彼女たちは意識しているようで、この70年という年を一つの契機として戦争のことについて知る努力をしていかなければいけない、ということを話しておりました。また、息子はまだ小さいですけれども*、今年(行きました)いくつかの戦争に関連する展示、それから催し等を通じて、だんだんと理解をしていってくれればよいかと思っております」
*悠仁さまは当時9歳
さらに、こう続けた。
「今回この機会に貴重な玉音盤の再生ができたというのは、大変価値があると私は考えています。そして玉音盤と共に御文庫附属庫のほうも映像が公開されたということは、やはり、昭和の歴史の一端を知る一つの機会であると思います。
私自身、玉音盤と御文庫附属庫の見学を通して感じたのは(略)そのときの昭和天皇がどのような気持ちでマイクの前に立たれ、もしくは終戦を決めるときにどのような気持ちで話をしたのか、そのことに思いを馳せていました」




