「いい加減にしろ!」父マリックにビンタされた夜
――マリックさんは、そういうLUNAさんの素行に何も関与せず?
LUNA ずっと関与してこなかったんですけど、19歳のある日、私が朝まで遊んで、夕方まで寝ていた時のことです。その頃は一軒家に住んでいたんですけど、私の部屋が1階で、お父さんの部屋は3階。1階なら、時間を気にせず帰れるので。
そういうわけで、お父さんとはますます会わない生活になっていたところへ、いきなりバーンって部屋に入ってきたので、もはや「え、誰? 何?」っていう状態ですよ。呆然とする私の頬をお父さんは一発はたいて、「いい加減にしろ!」って一喝しました。それから「一体お前は何がしたいんだ」と促され、そこで初めてお父さんに歌をやりたいと言ったんです。
――きちんと自分のやりたいことを言ったんですね。マリックさんは何と?
LUNA 夢は見つけるのが大変なんだから、逆にそれが見つかっているのならやるべきだし、そのために何をしなきゃいけないのかまず考えなさい、と。学校はどうでもいい、ただし何をやるにも続けることが一番大事。だから、続けられるんだったらやればいいし、それなら全力で応援するといったことを言われました。
――マリックさんから、進路や人生について何か話があったのは初めてでしたか?
LUNA 初めてですよ。いわゆる父親らしいことは一切なかったので。でも、さすがに業を煮やしたってああいうことだな、と今は思います(笑)。そのとき、具体的な直近の夢として、アポロシアターへの出演に挑戦したいと言ったら、「本来高校にかかるお金をニューヨーク行きのチケットにしてやるから、それで行ってこい」と。
ただし留学ではなく観光ビザで行くので、3か月で帰国しないといけない。つまり、その間に結果を出さなきゃいけないということです。でも不安や怖さはなく、ワクワクしかなかったですね。英語も全然できないし、文字通り身一つだったけど、無鉄砲なことができたのは、間違いなく当時ならではの若さという武器ですよね。
今の時代だったら、絶対にいろんな情報をインプットしてから行くじゃないですか。昔は海外に行く前の情報収集は『地球の歩き方』ぐらいしかない。現地に行かなきゃ何も始まらないし、情報も得られない。かつ、行った先でなんとかするという気持ちの人しか行けない。覚悟の質量が、今とは違うように思います。
