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社会人になりいつの間にかブラッドリー化した私

 あれから27年。小学生時代、ヒーローインタビューを拒否した彼にガッカリしたものだが、そんな私も会社ではブラッドリーのような存在になってしまった。上司が発する気の利いたジョークにうまく笑顔を作れない。愛想が悪く、口角を若干上げるのが精一杯。飲み会で一発芸を求められると一目散にトイレに逃げ込む。「根暗」のイメージが私にも常につきまとった。

 その一方、社会ではクロマティ的な人間が幅を利かせていた。クロマティは退団直後に出版した著書「さらばサムライ野球」において、再三に渡り日本野球のやり方やチームへの不満を記している。しかしそんな胸中を表に出すことはなく、現役時代のクロマティは常に人気者、皆と仲良くやっているように見えた。

 そんなクロマティ的な人間は周囲にたくさんいた。口を開けば会社や取引先の不平不満ばかり。しかしそんな感情を微塵も見せずに普段は調子良く振る舞い世を渡るクロマティ的器用人間。その自在な立ち回りに憧れつつも、私はブラッドリー的不器用人間から抜け出せず、人生の全てが狂っていった。

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陽気で人気者だった最強助っ人・クロマティ ©文藝春秋

ブラッドリー的生き方を受け入れた日

「地球の裏側にはもう1つの野球があった」ボブ・ホーナーの言葉はあまりにも有名だが、ブラッドリーはその“もう1つの野球”に順応できず、1年で日本を去る。

 彼が去った後、「チームに馴染めなかった」「クロマティの代わりは荷が重かった」そんな論調が並んだが、彼が残した成績は決して悪いものではない。何より1年間真面目に働き、肩に小錦が乗ることはなかったし、神のお告げで野球をやめることもなかった。

 彼が日本野球やチームに残したものは確かに少なかったかもしれない。しかしサヨナラホームランを打っても浮かれる事なく、打順を降格された自分に腹を立てる…そんなストイックな姿勢は、伝統にあぐらをかいてしまいがちなエリート集団・巨人軍の選手たちにとっては、良い刺激になったに違いない。

 また、派手なパフォーマンスや笑顔を見せることは無くとも「他人にどう思われようが自分の信念を貫く、できないことは仕方ない、とにかくベストを尽くすのみ」そう言わんばかりのプレースタイルに勇気付けられた私の人生も、良い方向に転がり始めていった。クロマティのように器用に生きることはいつしか諦めていた。

 根暗と言われようと自分の美学を貫き、プレーだけで己を表現し続けた誇り高きメジャーリーガーは、今でも私の心の支えであり、人生の指標になっている。

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