「私は昭和22年生まれで、祖父が巣鴨拘置所にいる時に生まれました。裕子という名前は、祖父からの『女の子ならば、裕仁天皇の一字をいただいて裕子とせよ』という手紙により付けられたそうです。祖父には裁判の合間に一度だけ抱っこされたことがあると聞いています。まだ猿みたいな赤ん坊を抱いて『天下一の別嬪さんだ』と言ったとか」

土肥原賢二の孫・佐伯裕子氏 ©文藝春秋

東條家にもらった甘納豆

 孫に触れた一瞬は、土肥原にとって人生最後の穏やかな時間だったのかもしれない。裕子は土肥原の次男・実(みのる)の子。育ったのは東京の用賀である。

「戦後、それまで住んでいた借家を出されて、行く所がなくて困っている時に、用賀に住む東條英機さんの未亡人、かつ子夫人が声を掛けてくれたそうです。それで母がどこからか借金して、東條家と道を隔てた場所に小さな家を建てた。かつ子夫人にはいつも助けていただきました。東條家では庭で鶏を飼っていて、卵を持ってきてくれたり、東條家に行くと、地味な着物を着たかつ子夫人が『おやつをあげます』と、甘納豆を持ってきてくれたり。うちとは比べ物にならないくらいのバッシングを受けていましたが、とにかく凜とした方でした」

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東條英機 ©国立国会図書館

 裕子は公立小学校に進んだが、前述のごとく「A級戦犯」の孫ゆえの苦労は絶えなかった。校内にあったのは戦争への反省から生まれた平和教育が過熱する光景だった。白と黒は転じていた。

「当時は、『日本がいかに悪かったか』ということを繰り返し教えられました。戦争でお父さんを亡くした生徒もいましたから、どこに憎しみを向ければいいか分からない時に『この前の戦争はすべて日本が悪かった』と。ある日、家に帰ってそんな話をすると、母が凄く怒ったのを覚えています。『違う。全部悪いなんてことはない』と」

この続きでは、東條英機、松井石根、木戸幸一、笹川良一、天羽英二の子孫が語ります〉

※本記事の全文(約1万字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と「文藝春秋」2025年9月号に掲載されています(「早坂隆「『A級戦犯』子孫たちの80年」)。全文では下記の内容をお読みいただけます。
東條家にもらった甘納豆
家訓は「一切語るなかれ」
「英」の字を付けるか迷った
遺族たちの知られざる交流
「戦犯が何が慈善活動だ」
外交官も「戦犯容疑者」に
「いじられた」曾孫世代
トルーマンの孫との交流
昭和史80年分の「結論」

出典元

文藝春秋

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