性被害だけでなく夫からのDVにも苦しめられていた
こうしてエプスタインとマクスウェルへの戦いを続けたヴァージニアだが、夫からの激しいDV(家庭内暴力)にも苦しめられていた。ヴァージニアの死後に家族が見つけた日記には、「妻の功績を称賛する代わりに、彼は嫉妬し始めた。人身売買被害者の支援活動をやめさせようとしている」と書き記されていた。
ヴァージニアと夫は2023年に別居している。3人の子供の親権で揉め、ヴァージニアは裁判所命令により子供たちとの面会を禁じられた。ヴァージニアにはこれが何よりも辛かった。それでも一家は二男の18歳の誕生日を祝うために今年1月に旅行に出掛けるが、夫は苛烈な暴力を振るい、ヴァージニアは病院に搬送されている。
その2カ月後の3月、ヴァージニアが運転していた車に猛スピードで走っていたスクールバスが衝突し、瀕死の重傷を負う。
事故から数日後にヴァージニアはアザだらけで横たわる自身の写真をインスタグラムにポストしている。腎不全と診断され、医師から治療を受けなければ余命4日と告げられた、最後にもう一度だけ子どもたちに会いたいと書き添えている。ヴァージニアの兄は、妹の症状が交通事故によるものなのか、夫から受けたとされる暴行の合併症なのか、あるいはその両方なのか不明としている。
交通事故から約1カ月後となる今年4月、家族はヴァージニアがオーストラリアの自宅で自殺したことを公表した。“家族”とはヴァージニアの2人の兄とその妻たちであり、夫ロバートは含まれていなかった。
さらにその3カ月後の今年7月、アメリカではエプスタイン・ファイルの公開を巡って大騒動となっている折り、トランプはジャーナリストに対し、エプスタインとの交友は自分から絶ったのだと語った。その理由として「エプスタインはマールアラーゴで私のために働いていた者たちを盗んだ」とした。亡くなったヴァージニア・ジュフリーもマールアラーゴのスパで働いていたことを知っているかと聞かれたトランプは、エプスタインが「彼女も盗んだ」と答えた。
10月に出版される自叙伝の内容
これを知ったヴァージニアの遺族は「“盗んだ”など、妹はモノではない」と、新たな怒りを表した。遺族は10月に出版されるヴァージニアの自叙伝『Nobody’s Girl: A Memoir of Surviving Abuse and Fighting for Justice』(ノーバディーズ・ガール:虐待からの生還と正義のための闘いの回顧録)の内容も憂慮している。
生前の執筆時、ヴァージニアは夫から自身と子供たちを守るために、夫はエプスタインから自分を救ってくれたと描写し、夫からの身体暴力には触れなかった。小児性愛と人身売買を糾弾しながらDVを隠蔽することの矛盾に気付いたヴァージニアは、その死の直前に内容を改定したがっていたと遺族は語っている。
ヴァージニア・ロバーツ・ジュフリー。小児性愛者およびDVの犠牲者でありながら、長年にわたって闘った女性。3人の子供を何よりも愛し、周囲からは「親切で、良い母親」と評されていた女性。2025年4月24日、最愛の子供たちを残して逝去。享年41歳。


