太平洋戦争の無条件降伏から8月15日でちょうど80年を迎える。「週刊文春 電子版」では、戦中生まれの著名人がその体験と戦争への思いを語った特集「戦争へ 私の遺言」を展開中。草笛光子や大村崑ら7人の次代に伝えるメッセージインタビューを紹介する。
空襲警報が鳴るたびに私は「アキちゃん」の骨壺を抱えた 草笛光子(91)|戦争へ 私の遺言
戦後まもなく松竹歌劇団に入団して以降、七十余年女優として活躍してきた草笛光子さん。幼き日に直面した空襲、疎開、そして戦争への思いを語る。「疎開」を経験した人は、もう少なくなったでしょうね。 昭和19…

素手で黒焦げの遺体を棺桶に……荼毘に付す炎は何日も燃え続けていた 大村 崑(93)|戦争へ 私の遺言
オロナミンCのCMでも知られる、93歳の現在も「元気ハツラツ」な大村崑さん。笑顔の裏にある、少年時代の壮絶な体験を語る。 親父に肩車をしてもらい、親父の頭のてっぺんに手を置いて眺めた神戸・新開地の歓…

復員後に壊れていく家庭、何も答えない教師──大人たちの後遺症 中村敦夫(85)|戦争へ 私の遺言
『木枯し紋次郎』などニヒルな役どころで知られる一方、ジャーナリストや政治家の顔も持つ中村敦夫さん。その広い見識の原点とは。 私は1940(昭和15)年の生まれで終戦の年に5歳でした。だから戦争の記憶…

「沖縄を守るために突っ込む」志願した私に上官が囁いた言葉 川平朝清(97)|戦争へ 私の遺言
ジョン・カビラさん、川平慈英さん兄弟の父で、戦後沖縄でアナウンサーや放送協会会長として活躍した川平朝清さん(97)。両親は沖縄出身で、日本の植民地だった台湾に移住。台湾で生まれた川平さんが、台湾と沖…

「総員起こし5分前!」毎朝号令をかけていた父の「戦争」 沢野ひとし(80)|戦争へ 私の遺言
1944(昭和19)年生まれのイラストレーター・沢野ひとしさんは、終戦直後の日本で子供時代を過ごした。戦争の話を避けていた父親の記憶を綴る。 私の両親から戦争中の話を聞くことは全くなかった。母は私が…


