M7.6の大地震とその直後の津波により、被災地に通じる陸路はことごとく崩落、半島全域で電気、上下水道、ガスに通信まで絶たれた多くの集落が長く孤立した。そんな孤立集落に飲料水、食糧、燃料など支援物資や医療班などの人員に道路復旧のための重機や車両を洋上から送り届けたのも、この輸送艦「おおすみ」と搭載されていたLCAC(エア・クッション艇)だったのである。
その際から車両揚陸支援に当たっていたのも彼ら陸自迷彩服に身を包んだ陸自乗員であった。彼らこそ、海上自衛隊呉基地に居を構えた陸上自衛隊が主体となった自衛隊海上輸送群隊員や、水陸両用作戦のために輸送艦に乗り込む陸自乗員なのであった。
いよいよ上陸訓練がはじまる
かような実戦形式の状況下、母艦となる「おおすみ」のLCAC甲板には、轟音と水しぶきを上げながら日米両海軍のLCACがひっきりなしに発着艦を繰り返す。
対岸のスタネージの地平線まで続くビーチには「おおすみ」から発艦したクリックが音もなく接岸しては水機団員、米海兵隊員が次々上陸してくる。
水機団のボート要員の他、火力誘導班員も米海兵隊の特殊部隊とも言えるANGLICO(空爆・砲撃支援誘導員)と行動を共にし、また第1水陸機動連隊に5人しかいない女性隊員も共に上陸とこれまた実戦を想定したものとなった。
沖合の「おおすみ」に加え、米海軍の揚陸艦「ラシュモア」と「サン・ディエゴ」からAAV7にその後継とも言える米海兵隊の最新兵器ACV(水陸両用戦闘装甲車)が一線となって波しぶきと轟音を上げ、上陸したと思いきや、後部ハッチから水機団員や海兵隊員が飛び出しビーチに展開していく。
さらにさらにこれまた日米両軍のLCACも後に続く。LCACからは米海兵隊のLAV―25軽装甲車はじめ日米の大小の車両や物資、人員を次々揚陸させ、まるでオマハビーチの様相を呈してくる。不肖・宮嶋も米海兵隊の最新兵器ACVの洋上航行を初めて目にすることができた。ましてやそんなACVと水機団のAAV7が海兵隊員と水機団員とともに行動するところを見るのも初めてである。
さらにそんな日米の共同作戦を、日米両将兵すぐそばでともに内陸部の牧草地や森林の中にまで進攻し、取材できたのも初めてであった。






