◆小説のなかに流れ込むもの
一穂 先日の『文學界』(編集部註:2022年11月号)に載っていた川上さんの「銀色の鍵」という短篇も、少女たちを長い時間で書かれていますけど、その長さを感じさせないですよね。忘却が持つ優しさとか、痛みとか、丹念に描かれているのに、年代自体は大胆に飛んでいく。
川上作品の特徴でもある、淡々としていたかと思うと、ある一点でポッと火が灯る、みたいな温度差というか緩急やメリハリって、どうやってつけておられるんですか?
川上 それが、あとで自分が書いたのを読み返すと、「誰が書いたんだろう」といつも思うぐらいで……。なんなんでしょうね、不思議。まあ、いろんなものを読んできたからかな? もちろん、読むだけじゃなくて映像を見たり、人が話すのを聞いたりもありますけど、自分の中から出てくるものって限界がありますよね。
一点でポッと光が灯る、ということでは、一穂さんの小説は「笑い」によって、ポッと光が灯る。
一穂 私が大阪の人間だからでしょうか。大阪の人間にとって、笑いは哀しみと一緒みたいなところがあって、つらいことほど笑い話にしちゃうんですよ。つらいことをそのまま言ったらなおつらいけど、笑いで元を取る、みたいな。そういう文化が染みついているのかなと思います。
川上 これほど「笑い」が書けるのは、心底うらやましい。たとえばお芝居でも、はじめに笑わせて場をあたためればあたためるほど、物語に観客を入りこませるのが容易になる。その温度差って小説にも応用できると思う。一穂さんは先ほど「コントロールしていない」とおっしゃっていましたが、結珠と果遠の関係性が徐々にあたたまっていくのは、頭の中に架空の生き物の水槽があって、それを観察していった結果なんですか?
一穂 まさに「結珠と果遠の観察日記」をつけていたのかもしれません。そうやって書き進めているうちに勝手に水槽のなかに新たな生き物が入ってくることもあって、小説を書いていて楽しいのはそういう時ですね。
川上 その架空の水槽を保つのがいちばん大変なんだよね。私はわりと、同時にいくつか違う小説を書くのは大丈夫で、そこに来た途端に「あ、この水槽、ここにあったぜ」って思い出すタイプなんですけど、一穂さんはどうですか? いくつかの話を並行して書くのは?
一穂 自分の書くスピードのキャパシティの範囲内であれば、同時並行で複数進めるのは嫌ではないです。物理的にバッティングしてしまって、ここで終わっているはずの仕事が終わってないのに次が来てしまってしかたなく……というのもありますけど(笑)。川上さんは、並行して書きたくないタイプかと思っていました。
川上 もしそうだったら、全部の作品を覚えていると思う。書き終えると、すぐに忘れてしまう、自分が書いたのに。ただ、10年くらいたって振り返ってみると、「あっ、これ、あのときの嫌な奴だ……」とか、書いている時に起こったことが、その小説のなかに残ってることはある。でもそれは恋愛をしたとかそういう華々しい大きいことじゃなくて、ちょっと近所の人が妙だったとか、そういう些細なことなんですけど、その時の何かがにじみ出ているものなんですよね。一穂さんもそういうのありますか?
一穂 あります。ネタとして入れ込んでいる時もありますし、タイムカプセルみたいに「この時は、これを食べていた」という、日記的になっている部分もあります。自分にしか分からないけど。
川上 そう、あまり大筋とは関係ないところで出てきたりするんだけど、あとから振り返ってみると実は大筋にも関係していたりするんです。だから不思議だよね。
あとね、これも今日どうしても言いたかった。『光のとこにいてね』ってタイトル、すごくいいけど、覚えにくいですよね。日本人は五七五のリズムが染みついているのに、これは七三なんです。でも、この不安定さが、主人公二人の不安定さと響き合っていて、すごくいいタイトルだと思った。
一穂 よく『光のところにいてね』って言われます(笑)。「とこ」じゃなくて「ところ」って。
川上 「とこ」、絶妙でした。
一穂さんは読者がどう読んでくれるかということは気になりますか?
一穂 気にならないと言ったら噓になりますけど、だからといってもう上梓しちゃった本だし、どうにかできるものでもないので……。
川上 そうだよね、もう出ちゃったものはなにかあっても「ごめん、ごめん」だよね(笑)。
昔ね、筒井康隆さんが「小説家はいい加減じゃないと」って言っておられて、書き続ける秘訣はそれかなと思います。真面目すぎちゃうと苦しいですよね。自分のすべてを注ぎ込んで書く、だとずっとはできないかも。
一穂 私は単純に発注があるので納品している、その繰り返しという気持ちです。出したもののクオリティが低いと判断されれば次の依頼は来なくなりますけど、幸いいまは続けていけてる。
川上 あ、それ、わかる気がします。私も職人的な気持ちでやっています。で、一冊書くと筋肉がついたなって思う。筋肉がつくと、その筋肉を使ってまた次の小説ができて。一穂さんは、そんな感覚はありましたか?
一穂 筋肉がついたな、というのは思いました。別の作品のゲラを直す時に、『光のとこにいてね』を書く前は見逃していただろうなというところに気づいて赤を入れられるようになった、ということもありました。ただ、書き続けないとすぐに筋肉は落ちちゃうので、発注してもらわないと(笑)。
それから、私の場合、構想の段階で「おもしろそうですね」と言われたら「そうか、これはおもしろいのか」と喜んで終わってしまいそうなので、最後まで「おもしろいかどうかわかりません」と言ってもらえたほうがいいのかも……。
川上 ストイック!(笑) 次作もほんとうに楽しみです。今日はお話できて嬉しかった。ありがとうございました。
一穂 ありがとうございました。
構成:相澤洋美 / 撮影:深野未季
プロフィール
川上弘美(かわかみ・ひろみ)
1958年東京生まれ。94年、「神様」でパスカル短篇文学新人賞を受賞しデビュー。96年「蛇を踏む」で芥川賞、99年『神様』でドゥマゴ文学賞、紫式部文学賞、2001年『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞、07年『真鶴』で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『水声』で読売文学賞、16年『大きな鳥にさらわれないよう』で泉鏡花文学賞など受賞多数。19年、紫綬褒章受章。その他の著書に『ニシノユキヒコの恋と冒険』『ぼくの死体をよろしくたのむ』『森へ行きましょう』『某』『三度目の恋』など多数。
一穂ミチ(いちほ・みち)
2007年『雪よ林檎の香のごとく』でデビュー。劇場版アニメ化もされ話題となった『イエスかノーか半分か』などボーイズラブ小説を中心に作品を発表し読者の絶大な支持を集める。22年、初の単行本一般文芸作品『スモールワールズ』が本屋大賞第3位、吉川英治文学新人賞受賞。主な著書に『ふったらどしゃぶりWhen it rains, it pours』、「新聞社」シリーズ、『パラソルでパラシュート』『砂嵐に星屑』(山本周五郎賞候補)など。22年秋、最新刊『光のとこにいてね』刊行。同作は第168回直木賞候補、また2023年本屋大賞にノミネートされている。

