『沈黙を破る 「男子の性被害」の告発者たち』(秋山千佳 著)文藝春秋

 日本の性暴力(被害・加害)に対するメディアの姿勢は、これまで男性によるまなざしが中心だったせいか、被害者は悲惨さを強調され、加害者は極悪人と断罪されてきた。同性である加害者をとにかく切り捨てようとする定型的論調に、ずっと辟易してきた。本書は、男子の性被害について女性が書くという正反対の構図の一冊である。一気に読み終えてしまった。カウンセラーは、毎日ノンフィクションを読んでいるような仕事なので、めったに感動しないが、ひさびさに満点に近い読後感に浸った。

 とにかく取材がすごい。性被害者にインタビューの許可を得るまでの高いハードルをどうやってクリアしたのだろう。本書には、ページに印刷された数倍の苦労が込められているはずだ。「お会いしたい」という申し出を相手がどう受け取るか。私自身が性被害者とのカウンセリングで筆舌に尽くしがたい困難を経験してきたので、そう思う。彼ら・彼女らが受けてきた無理解という名の二次被害は、不信と拒絶、あきらめと孤立に帰結する。そんな屈折の扉をどうやってこじ開けたのだろう。それだけでも敢闘賞ものだ。

 本書の構成もすごい。登場人物たちが、自らの性被害を証言していくさまは、抑制の利いた筆致で描かれる。ひとえに、緻密で繊細な配慮に満ちた取材によるものだろう。それだけではない。裁判を通じて、著者を媒介としてゆるやかに連帯していく。会ってもいないのに「仲間」となっていく。取材を受けたことで仲間を得たのだ。

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 もっとも個人的で秘されがちな性被害、それも加害者側とされがちな男性の被害者たちの被害の実態が仔細に書かれる。読者はそれだけで圧倒されてしまうだろう。しかし本書の真骨頂は、著者が裁判を傍聴し、何度も力づけ、ともに憤り、被害者どうしの連帯の要(かなめ)となっていく姿勢である。その姿が目に浮かぶようだ。

「被害者」とはもともと司法用語である。すでに正義(ジャスティス)や裁きの意が含まれたことばなのだ。つまり、中立はありえない。被害者と言ったとたんに、私たちは支援する側に立たなければならなくなる。だから、多くの男性たちは性被害者という言葉すら忌避するか、過剰に加害者を糾弾するかに、二極化する。ライターのジェンダーは、重要な意味を持っている。女性の著者であることが、力になったのではないかと思う。

 ノンフィクションの書き手とカウンセラーは似ている。目の前の被害者の立場に立って徹底して支援するという覚悟を示さなければ、彼ら・彼女らは何も語ってはくれないからだ。一般書だが、多くの支援者にも読んでもらいたいと思う。

 あとがきによれば、取材開始から刊行までの長い時間を支えたのは、文藝春秋の編集者たちの襷リレーだったという。やっぱり捨てたもんじゃない、文春!

あきやまちか/1980年生まれ。朝日新聞社に記者として入社、大阪社会部、東京社会部などを経て2013年にフリーのジャーナリストに。著書に『東大女子という生き方』『戸籍のない日本人』など。
 

のぶたさよこ/公認心理師・臨床心理士。著書に『家族と国家は共謀する』『暴力とアディクション』など。