「ありえない」作品は書きたくなかった
――町工場から宇宙へ。その飛躍に、読み手は夢や希望をかきたてられました。
池井戸 学生の頃、大田区の中小企業の技術を結集すればロケットを飛ばせると聞いたことがあったんです。それで実際に工場へ行って尋ねてみたら、即座に「無理ですね」と。そのとき、ふと頭に浮かんだのが、佃製作所が特許を持っていたらどうだろう? というアイデアでした。先方も「それなら可能性はあるかも」と。あそこで閃かなかったら、そのまま終わっていたと思います。
現場に行って可能性を確認したのは、リアリティーのある枠組みで小説を書きたかったから。フィクションですから面白ければ何でもいいのかもしれませんが、町工場には本当にそれを目指して仕事に取り組んでいる人がいるかもしれない。現場で働く方々に「こんなの、あるわけない」と否定されるようなものは書きたくなかったんです。
読者が結末に満足して本を閉じられるように
――書き方の転換点にもなった『下町ロケット』。今回の新装版に収録された霜月蒼氏(書評家)の解説にも、〈池井戸潤の最初の「完成」であり、『空飛ぶタイヤ』(2006年刊/講談社文庫・実業之日本社文庫)にはじまる「第二期・池井戸潤」の代表作である〉と記されています。
池井戸 もうひとつ、この作品で挑戦したとするならば、中小企業を舞台にして、そこで起こる春夏秋冬の出来事を、年代記的に書いたことでしょうか。ある会社に今、リアルに起きていることを長いスパンでゆったりと綴っていく小説は、それまでにあまりなかったのではないかと思います。
――佃製作所は、高品質な製品を誠実な仕事で生み出す〈佃プライド〉をモットーに掲げています。作家として池井戸さんが譲りたくないことは?
池井戸 物語の結末を、僕が納得するレベルまで書くこと。急いで終わらせようとせず、主人公は真正面から問題と向き合って戦っているのだから、僕も急いで終わらせようとはせず、その戦いを、たとえ何枚かかろうと書いていく。小説を尻すぼみに終わらせないためにも、そこは覚悟を持って取り組んでいます。
作品への反響を見ていると、最近の読者は結末の「厚み」を、作家や編集者が思う以上に大事にしているのだなと感じます。具体的に言うと、事件の顛末や登場人物たちの行く末を全部知りたいと思う方が多く、「あとは想像にお任せします」ということでは許されない。余韻のある終わり方も美しいと思いますが、読んでくださった方が満足して本を閉じていただけるよう、僕はあえて、すべてを書くようにしています。
(→後編に続く)