かつて早稲田大学で選手時代は、4年連続で箱根駅伝の5区を任されて3度芦ノ湖のゴールテープを切り、1985年には同区間新を樹立、早稲田の2連覇にも貢献した金哲彦さん。当時「山登りの木下」と大きな評判を集めた。

 現在はランニングコーチとして、一般市民ランナーやプロアスリートの指導にあたり、駅伝・マラソン解説者としても活躍している金さんは、NHKラジオで箱根駅伝解説も30年にわたって続けてきた。その視点から、池井戸潤さん最新長編『俺たちの箱根駅伝』を解説すると――。

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箱根の山を実際に走った目線でのリアル

 僕は池井戸潤さんの作品は、『下町ロケット』の頃からのファンで読んできたし、ドラマ『陸王』ももちろん観ています。『俺たちの箱根駅伝』の上下巻は、ちょうど出雲駅伝の解説を終えた頃に一気に読んだんですが、すぐ後に箱根駅伝の予選会が行われました。そこで東京農業大学に1秒差で順天堂大学が出場権を獲得する劇的な出来事があったでしょう。現実で起きたことと小説が重なりあって、もうこれは絶対に映像でも観たいと思いました。

 ヒーローがいじめられていじめられて最後に勝つ、という勧善懲悪のストーリーが痛快で、絶対にドラマ向きだというのもあるんですが、『俺たちの箱根駅伝』は特に下巻は最初からずっとレース場面が続く。僕はNHKのラジオで30年以上解説をしてきたし、自動車でも何度もコースを走ったし、何より箱根の山を実際に走ったわけだから、コースのことはよく知っているんですが、その専門家目線で読んでも、たとえば中継カメラが置かれる場所のことまで、本当に細かい部分までリアルに描かれているんです。

 もっとも、僕らは大会本番ではずっと時間(タイム)を見ながらレースを追っているので、小説では展開が進んで目の前にいきなり函嶺洞門が現れたり、場面がポンと飛んだりするのには驚きました。でも、普通はそんなことは気にならないだろうし、僕だって知らず知らずに選手たち一人ひとりのバックグラウンドに――青森出身の選手がタスキを渡す前にいろんなきついアクシデントがあって、そこで強風と雨の降る「こんなひどい天気」の中で順位を上げていく場面なんかには、もう分かっているんだけどホロっときました。復路の気温5度で冷たい向かい風の設定の割には、ラップが速過ぎるんじゃないかと思ったりもするんですけど、これは職業柄(笑)。絶対ありえないラップではないですよ。

第44回いちごマラソン大会/玉名いだてんマラソン2024でゲストランナーとして出場した金さん。

 実は、映画やドラマでランニング指導をしたことも何度かあって、大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』では、金栗四三を演じる中村勘九郎さんが、ストックホルム五輪の場面を再現する撮影に立ち合いました。僕はリアルを作る担当ですから、最初に「ちょっと走ってみてください」と練習してもらったんですが、当時は優勝者でもタイムが2時間30分を越えていた時代です。「いや30キロ地点でそれでは早すぎるんで、もう少しゆっくり」と言ったところ、「それではドラマとしては疾走感がなくなってしまうので困ります」と言われたこともありましたね。